韓国でも和式から洋式便器への交換が進む

 朝鮮日報日本語版の記事によれば、9月4日にソウル市教育長が、392億ウォン(約39億円)の予算を投入し、来年までに市内にある小中高等学校のトイレから和式便器すべて撤去して洋式便器に交換することを発表した。

 現在、ソウル市内の学校にあるトイレの25%は和式便器であり、その数は2万3057個にもなるという。

 それを撤去すると聞いて“日帝残滓(ざんし)”の粛清がついにトイレにまで(!?)とか、思ってしまったのだが…、どうやら、それは日本人の被害妄想だったようで。理由は違った。

 目的は子供たちを苦痛から開放するためだという。

 日本では和式トイレが苦手という人が多く、現在の和式便器出荷数が1%以下にまで激減している。

 韓国も事情は同じだ。家庭のトイレは、ほぼ洋式になり、公衆トイレでも和式から洋式への交換が進んでいる。

 ソウル地下鉄の駅のトイレも、現在は男性用82.1%、女性用62.8%が洋式便器になっている。

 それだけに、子供たちは和式便器に慣れておらず、しゃがんで用を足すのは辛い。

日韓併合以前のトイレはどんなだったか?

 ここで韓国のトイレの歴史について少し調べてみた。昔の朝鮮半島も日本や中国と同じで、しゃがんで用を足していたようだ。

 現代の韓国にある便器は、近代になってから日本で造られた和式便器が普及したもの。このスタイルの便器は、朝鮮日報日本語版記事では「和式」とあり、韓国でも「和便器(ファビョンギ)」と呼ばれている。

 では、それ以前の朝鮮半島の伝統的なトイレはどんなだったか。

 全羅北道の益山で発見された約1400年前の百済王宮遺跡でトイレの跡が発見され、それを復元した模型が存在する。それを見るとすだれで仕切りされた狭い板張りの間に、長方形の穴が空いているだけだ。

 李氏朝鮮時代の両班(貴族)は、家の敷地内の隅に小さな別棟のトイレを建てていた。ここもまた板に穴があるだけで、百済時代から変化は見られない。

 また、庶民のトイレは、囲いがあるのだが屋根は存在せず。これも便器は、土に穴を開けただけの簡素なものだったといわれる。

「韓国固有の便器」は見つからず…

 しかし、昔の日本のトイレも、朝鮮半島と大差はない。

 庶民のトイレは、肥壺の上に板を渡した簡素なものだった。

 和式便器は「キンカクシ」を付けて、巨大なスリッパのような形状をしているが、このスタイルは近代になってから。

 そのルーツは江戸時代に、貴人たちのトイレに付けられるようになった「衣掛け」にあるという。

 衣掛けは、用便の時に汚れぬよう着物をかけておくために設置されたが、明治時代に陶器製のトイレが普及するようになると、その名残から前方を突起させたキンカクシが付けられるようになったのだとか。

 日本や韓国と同様にしゃがんで用を足していた国、タイやトルコなどでも近代になると陶器製便器が普及するようになるが、そこにはキンカクシが付いてない。

 朝鮮半島では、陶器製便器が普及する前に、日本に併合されて和式便器が普及した。そのため、「韓国固有の便器」というものはなかった。

 もしも、日本の影響を受けることなく近代を迎えていれば、おそらく、キンカクシのないタイやトルコのような形状になっていただろうか。


青山 誠(あおやま まこと)
日本や近隣アジアの近代・現代史が得意分野。著書に『浪花千栄子』(角川文庫)、『太平洋戦争の収支決算報告』(彩図社)、『江戸三〇〇藩城下町をゆく』(双葉社新書)、『日韓併合の収支決算報告~〝投資と回収〟から見た「植民地・朝鮮」~』(彩図社)、近著『明治維新の収支決算報告』(彩図社、2022年)。「さんたつ by 散歩の達人」で連載中。