クルマのナンバープレートには、「一連指定番号(4桁以下のアラビア数字の1から9999)」の部分で使用できない数字が3つあります。さらに、ひらがなにおいても5つの文字が使用できないといいますが、その理由とはどのようなものなのでしょうか。

ナンバープレートで「欠番扱い」が存在?

 公道を走るほとんどの車両に装着されているナンバープレートですが、プレートに刻まれている数字やひらがなには、使用されない文字があるようです。

 昨今では、車両の増加により数字が足りず英字も使われていますが、なぜ使用されない番号が存在するのでしょうか。

 ナンバープレートは、新車または中古車で購入した際に登録・届出すると取得できます。

 現在、ナンバープレートの番号は、任意で希望できる「希望ナンバー制度」が導入されています。

 新規登録や管轄変更を伴う名義変更、ナンバープレートが破損した場合などの4項目に該当する人が対象となり、「一連指定番号(4桁以下のアラビア数字の1から9999)」の部分を自由に選ぶことができます。

 しかし、人気が高い「抽選対象希望番号」は、毎週1回月曜日に抽選をおこない当選した人のみが取得できるといった仕組みとなっています。

 一方で、希望ナンバー制度を利用しない場合は、一連指定番号は「・・・1」から「99-99」へと順番に発行されますが、そのなかで使用されない番号が3つあります。

 それは、下2桁が「42」と「49」、そして「13」です。なぜこれらの3つの番号が欠番にあたるのでしょうか。

 この理由について、全国自動車標板協議会の担当者は以下のように話します。

「具体的な理由を示して『42』『49』を欠番としているわけではありませんが、通達などで欠番となっています。

 かなり昔から欠番とされていているのですが、『しに』『しく』という言葉が連想されるので、当時の運輸省が配慮したということなのだと思います。

 また『13』という番号は、駐留軍人・軍属私用のナンバープレートが該当します。

 自動車の用途を示す、一般的にはひらがなで示されている部分が『E、H、K、M、T、Y、よ』のナンバープレートで欠番になっています」

※ ※ ※

 それぞれ欠番理由は明示されていませんが、「42」「49」の数字は、自動車がまだ特別なものだった時代、事故なく安全に走るためには縁起の悪いナンバープレートを使いたくないという思いが強かったことは、想像に難くありません。

「13」についても、詳しく明示されていないものの、西洋では忌み数とされていることが理由のひとつだといわれています。

 一方で、前出の担当者は、「これらの欠番は、ユーザーが希望ナンバー制度を利用して申し込めば発行されるので、ナンバープレートとして存在しないわけではありません」と説明します。

 実際に「46-49(ヨロシク)」というナンバープレートを付けているクルマを目にすることはあるため、本人の希望であれば、欠番とはならないということです。

本当に使えない「文字」があった?

 また、自動車の用途を示すひらがなについても欠番があります。

 前出の全国自動車標板協議会の担当者は、次のように話しています。

「一般的に『おしへん』と呼ばれていますが、『お』は『あ』と見間違えやすいため、『し』は死を連想させるため、『へ』はおならで……、『ん』は読みにくいためといわれます。こちらも欠番理由は明示されていません」

 これら4文字は希望ナンバー制度の対象となる一連指定番号ではないので、使用されることはありません。

 そのためか、存在しない架空の番号としてテレビや映画の劇中車やニュースなどで目にすることがあります。

 なお、自動車の用途を示すひらがなのうち、レンタカーには「わ」とともに「れ」が使用されています。

 これについて、都市伝説として語り継がれるのは、かつてひらがなの取り決めを公示する通達が運輸省からFAXで送信されたものの、当時のFAXはアナログで読み取りが粗く、東京の霞が関から遠い北海道の陸運局では文字がつぶれてしまい、陸運局の職員が「レンタカーだから『れ』ナンバーだろう」と誤った判断をしたのがそのまま採用されてしまったものです。

 この話の真相を全国自動車標板協議会の担当者には、次のように説明しています。

「私もその話をうわさ話として聞きます。

 真偽のほどは知るべくもありませんが、当時はまだ電算化もされておらず、各陸運支局が紙の帳簿でナンバーを管理していた時代ですから、陸運支局長の裁量も現在より広かったというのは事実のようです」

※ ※ ※

 希望ナンバー制度や、ナンバープレートの図柄を選ぶことができる制度など、ナンバープレートにもさまざまな選択肢が増えてきました。

 その一方で「縁起を担ぐ」というような伝統的な価値観も残っているというところに、数字に対するそれぞれの人の思いが見え隠れしているともいえるでしょう。