世の中にはヒットするクルマがある一方で、販売目標を下まわるほど販売が低迷するクルマもあります。売れない理由はさまざまですが、決してダメなクルマではないケースも存在。そこで、不遇な運命をたどったクルマを、3車種ピックアップして紹介します。

さまざまな理由で消えていったクルマを振り返る

 各メーカーとも新型車の開発をおこなう際に、販売目標となる台数を決めます。この目標は開発費や市場規模などさまざまな要素によって算出されますが、最低でも利益を生むということが前提です。

 そして、販売目標を大きく上まわるほどヒットするクルマがある一方で、売れないクルマもあります。

 売れない理由はそれぞれのクルマによって異なりますが、決してダメなクルマばかりではないようです。

 そこで、出来は良かったけど残念な結果となったクルマを、3車種ピックアップして紹介します。

●ホンダ2代目「クロスロード」

 ホンダは1980年代以降、英ローバーグループと提携関係にあり、1993年にはランドローバー「ディスカバリー」のOEM車である初代「クロスロード」をホンダブランドから発売しました。

 本格的なクロカン車だったクロスロードは当時の「RVブーム」に乗るかたちで期待されましたが、人気は低迷し1998年に販売を終了。

 そして、2007年にはクロスオーバーSUVである2代目クロスロードが登場しました。

 2代目ストリームをベースに開発され、外観は直線基調のボクシーなスタイルを採用。全長4285mm×全幅1755mm×全高1670mmとショートボディながら全幅を比較的ワイドに設定し、広い室内空間を実現した3列シート7人乗りSUVに仕立てられていました。

 搭載されたエンジンは最高出力140馬力の1.8リッター直列4気筒i-VTECもしくは150馬力の2リッター直列4気筒で、駆動方式はFFと4WDが設定されました。

 2代目クロスロードはそのフォルムの恩恵で車体の見切りが良く、ショートボディも相まって日常の使い勝手の良い3列シートSUVでしたが、当時は評価されずに販売は低迷。そのため2010年には販売終了となってしまい、発売からわずか3年半で消滅しました。

 一方、近年のSUV人気からクロスロードは再評価され中古車が人気となり、まさに出たタイミングが悪かったといえるでしょう。

●ロータス2代目「エラン」

 2021年7月に英ロータスは新型「エミーラ」を発表。同社で最後の内燃機関搭載車になるということから、大いに話題となりました。

 ロータスはF1をはじめモータースポーツの世界で輝かしい戦績を残していますが、その技術力を生かして数多くのスポーツカーを開発してきました。

 そのなかでも記録より記憶に残る存在なのが、1990年に発売された2代目「エラン」です。

 初代エランは1962年に誕生したライトウェイトFRスポーツカーで、オープンボディを基本としてクローズドボディもラインナップ。

 鋼板製バックボーンフレームとFRP製ボディによる軽量な車体に、パワフルな1.6リッター直列4気筒DOHCエンジンを搭載して優れた走行性能を誇り、欧州だけでなくアメリカでもヒットしました。

 初代エランは1975年まで生産されて一旦はラインナップから消えてしまいましたが、1990年に2代目が登場。

 2代目も初代と同じくバックボーンフレームに、スタイリッシュなFRP製ボディを架装したオープン2シーターですが、最大の特徴はロータスが生産する初のFF車だったことです。

 エンジンとトランスミッションはいすゞ製で、1.6リッター直列4気筒DOHCのターボと自然吸気を設定し、5速MTのみが組み合わされました。

 また、4輪ダブルウイッシュボーンのサスペンションを採用し、絶妙なセッティングによって優れたハンドリング性能を実現。ロータス流FFコーナリングマシンとして高く評価されました。

 エランのFF化は新たな顧客獲得を目的としていましたが、伝統的に後輪駆動のクルマを製造してきたロータスがFFを採用したことは、生粋のロータスファンにとって大きなマイナスポイントでした。

 さらに、アメリカの衝突安全基準に対応するため発売前に再設計がおこなわれ、価格も高騰したことから販売は極端に低迷。

 そのため、1995年に2代目エランは生産を終了するに至りました。同時期に販売されていた「エスプリ」は28年間、後に発売された「エリーゼ」が25年間ものロングセラーだったことを考えると、いかに2代目エランが短命だったのかがうかがえます。

●デロリアン「DMC-12」

 映画「バック・トゥ・ザ・フューチャー」シリーズで、一躍世界的に知られるようになったクルマといえば、デロリアン「DMC-12」です。

 1975年に、当時GMの副社長だったジョン・デロリアンが、理想とするクルマをつくりたいという思いからデロリアン・モーター・カンパニー(以下DMC)を設立。

 そして、1981年1月に同社初のモデルとしてDMC-12が誕生しました。

 外観デザインはイタルデザインを主宰するジョルジェット・ジウジアーロが担当し、全高が極端に低いウェッジシェイプのファストバックスタイルにガルウイングドアを採用するなど、そのフォルムはスーパーカーそのものです。

 車体の開発はロータスが担当し、同社が得意とするスチール製のバックボーンフレームにFRP製のボディパネルを架装。さらに外板には無塗装のステンレス製パネルが用いられたことが、DMC-12の特徴のひとつとなりました。

 エンジンはミッドシップではなくリアアクスルよりも後ろに搭載し、プジョー/ルノー/ボルボが共同開発した2.8リッターV型6気筒は最高出力132馬力を発揮。出力的には平凡で、スーパーカーの雰囲気を味わえる程度と割り切ったコンセプトです。

 こうしてデビューしたDMC-12は大いに話題となり、当時は比較的高額な2万5000ドル(現在の約7万ドルに相当)という価格ながら、発売当初はバックオーダーを大量に抱えるほど好調なセールスを記録。

 しかし、アメリカの景気後退の余波を受け販売は次第に低迷し、デロリアンは大量の在庫の処分ができない状況に陥り、さらにジョン・デロリアンが麻薬密売の容疑で逮捕(後に冤罪と判明)というスキャンダルも追い打ちをかけ、DMC-12の発売からわずか1年後の1982年2月にDMCは倒産しました。

 その後、DMC-12は管財人のもとで残った部品から生産が続けられ、1982年12月に生産終了となるまでに、約9000台がラインオフしています。

 バック・トゥ・ザ・フューチャーの公開は1985年でしたから、DMC-12が世界的に知られるようになった頃には、すでにDMCは倒産していたということです。

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 冒頭に紹介した2代目クロスロードは、手頃なボディサイズにスタイリッシュなデザイン、3列シートというユーティリティの高さを誇るSUVとして、今なら大ヒットしてもおかしくない要素が満載です。

 しかし、当時は今ほどニーズがなく、残念な結果となってしまいました。

 各メーカーとも新型車開発には入念な市場調査をおこなっていますが、ニーズの変化を予想するのは、かなり難しいといえるでしょう。