道路の正面に山が現れることがありますが、これは設計された結果の景色なのでしょうか。山の多い日本を走ってみると、このような「山アテ」道路が実は都会から地方まで存在します。

全国各地にある「道の先に山」

 道を走っていると、景色が開けて目の前に大きな山がドーンと現れることがあります。

 堂々とした山容は見ていて気持ち良く、その眺めを“特等席”から堪能できるのもドライブの醍醐味の一つと言えるでしょう。

 このように、正面の山へ続いている道を「山アテ道路」といいますが、果たしてそれは偶然できるものなのでしょうか。

 中央道の下り(名古屋方面)を走っていると山梨県内の韮崎ICを過ぎた辺りで、大きな八ヶ岳が正面に現れます。

 路肩には「八ヶ岳連峰/最高峰(赤岳)2899m」と書かれた標識が。道路を管理するNEXCO中日本によると、こういった山を案内する標識は「単調な走行を楽しくさせたり、道路利用者に適度な刺激を与えることで、利用者サービスや交通安全の向上を図ることや、道路利用者の位置確認のために設置」しているといいます。

 ちなみに同じ区間の上り(東京方面)では、遠くに富士山が顔をのぞかせています。

 関越道の下り(新潟方面)では、群馬県内の高崎ICを過ぎた辺りで、正面に榛名山を望めます。

 高速道路だけではありません。

 青森市の国道7号では、20kmほど先にある県内最高峰の岩木山(標高1624m)を正面に捉えられる直線区間が900mほど存在。津軽富士の異名を持ち、太宰治が『津軽』で「十二単を拡げたようで、透き通るくらいに嬋娟たる美女」とたとえた山容を鑑賞できます。

 このように、山の多い日本では山アテ道路の例がいくつも挙がりますが、もちろん、地形や街並みにあわせてルートを選んだ結果、「山アテ」になってしまったという区間もあるでしょう。

 しかし、意図して山アテにしたと考えられる道路もいくつかあります。

東京のメインストリートも「山アテ道路」だった?

 東京都心を南北に走る中央通り(国道15号)の、京橋から日本橋にかけての区間は、約70km先のかなたに鎮座する筑波山の方角を向いています。この通りは江戸時代の東海道の道筋を継承しており、江戸・東京の街を代表する道筋の一つです。

 また、日本橋の北詰で中央通りと直交する本町通りは、西の延長線がおよそ100km先の富士山と重なります。この道は江戸城から浅草方面へのびており、日本橋を起点とする日光・奥州街道のルートでもあります。江戸の目抜き通りとして栄え、今も多くの老舗が軒を連ねます。

 ちなみに『江戸名所図会』(1834〜1836年刊)の「駿河町三井呉服店」や、歌川広重『名所江戸百景』の「する賀てふ」には、本町通りに並行して走る通りが描かれていますが、道の先には富士山が大きく描かれています。

 都市や道の景観に山を取り込む借景の感覚や手法が、古くからあったことがうかがえます。

 ちなみに駿河町は、現在の中央区日本橋室町の一部に該当します。当時は、江戸城の向こうに駿河国(静岡県)の富士山がよく見えたようです。

 中央通りや本町通りは、周囲よりかすかに高い「微高地」を進むルートでもありますが、それゆえにそこからよく見える筑波山や富士山を目印に道筋が固まったのかもしれません。

 同じく都内の国立市では、JR国立駅の南側から放射状に3本の道がまっすぐのびていますが、そのうちの1本は富士山の方角です。富士見通りという名前のとおり、条件の良い日には富士山が見えます。

 山アテ道路は北海道にも多く存在します。これは、測量技術が未発達だった明治の開拓時代、原生林に道を通すために近くの山を目印にしたためといわれています。

「蝦夷富士」とも呼ばれる羊蹄山の周辺には、国道5号など5か所以上に山アテがあります。

 長い山アテ道路だと、帯広市の道道216号はコイカクシュサツナイ岳に向かって23.4km、小清水町から斜里町にかけての国道334号〜道道1000号〜道道827号は海別岳に向かって24.0kmの区間が一直線です。

 なお、後者の海別岳の山アテ道路の周辺は方格状(碁盤目状)になっており、北側の並行道路は28kmの直線がはるか遠くまでのびて天まで続いているように見えることから「天に続く道」と呼ばれています。

 道路から見える景色について「誰かが意図して作ったもの」と考えることは少ないかもしれませんが、これらのように山(頂上の位置)に合わせて道路が引かれたケースも存在します。

 北海道に多い、道路が山へまっすぐのびていく気持ちの良い景色は、「100年前の設計者からの贈り物」ともいわれています。道路を走る際は、山との位置関係を意識するのも、またドライブの楽しみになるかもしれません。