1960(昭和35)年6月3日、翌日の安保条約改定阻止ストを支援する全学連デモが首相官邸に突入を図り警官隊とにらみ合い。翌日は総評系組合員ら560万人がストに参加、15日の国会デモで東大生樺美智子さんが死亡すると反対運動は頂点に。強行可決した新条約は自然成立し、岸内閣は混乱の責任で翌月総辞職した。