太平洋戦争末期の沖縄戦で、県民に特別な配慮を求める電文を海軍次官に送った海軍の大田実司令官ら幹部の自決から79年となった13日、約4千人が命を落としたとされる豊見城市の旧司令部壕で慰霊祭が営まれた。曇り空の下、参加した遺族や関係者ら約150人が鎮魂の祈りをささげた。

 大田司令官は1945年6月6日、米軍の猛攻下で県民の惨状を見過ごせないとして「沖縄県民斯ク戦ヘリ 県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」と打電。1週間後、将校らと命を絶った。

 慰霊祭では地元の小学生約70人が平和を願う詩を朗読し、沖縄戦の悲劇を歌った「月桃」を合唱する中で遺族らが献花し、厳粛な雰囲気に包まれた。