常に変わりゆく時代の群像を一番間近に見続けてきた職業、それはもしかしたらタクシー運転手かもしれません。小さな車内で交わされる、ほんのいっときの人間模様。喜怒哀楽や幸不幸を乗せて、昭和から平成、令和へと都会を駆けた元ドライバーの筆者が、その一端をお話しします。

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未経験の「超長距離」運転が始まる

(前編から続く)

 東京都心から、静岡は浜名湖までの超長距離客を乗せることになった筆者。乗客は少年と両親の3人。父親いわく、少年が家出をして警視庁に保護されたとのこと。新幹線で帰るとまた逃げ出してしまう恐れがあるため、やむなくタクシーを選んだのだそう。

 超長距離の運行を前に、筆者は決まり通り会社に連絡を入れ、運行係の指示を仰ぎました。

「ガスの補充に加えて、トイレ休憩も考えてください。浜名湖は一般道に降りられないはずだから、手前の浜松西で降りてください。東名は行き過ぎると長い距離を戻らなくちゃならない。それだけは注意してください」

「それから、料金とは別に帰りの高速代も請求してください。60kmを超える場合は帰りの高速代はいただく決まりだから。とにかくトラブルのないように」

 さすがタクシー会社の運行係。筆者の知りたいことを全てガイドしてくれました。筆者の頭の中には、これから未知のコースに一抹の不安がよぎります。途中で車の故障とか、変な車とトラブルにならないかとか、家出してきた少年がどこかで逃げ出してしまう恐れとか、そんなことがグルグル頭を回りました。

「お客さん、この車は燃料タンクが65Lで400kmしか走れません。途中でガス欠になったらえらいことなので、一度燃料を入れますけどいいですか?」
「もちろんいいですよ。私らは運転手さんに全てお任せします」
「ありがとうございます」
「運転も疲れると思いますから休み休みで構いません」

仲間から激励と見送りを受けて出発

 運転手に気遣いまで見せる親父さん。優しそうだし、社交性も高そうだ。きっと今回のことはイレギュラー。いつもは良い家族なのだろう。

「それでは東名と新東名のどちらを走りますか。ご存じかと思いますが、新東名の方が若干速いかももしれませんが、内陸寄りなのでトンネルが多いです。私は景色が見える東名がいいと思いますが」
「そうだね、私らも景色が見える方がいいね。そうそう、東名の浜松西で降りてもらって、あとはバイパスに行ってもらって、そのあとは道案内します」

 筆者はまずガス充填(じゅうたん)をしにスタンドへ寄ります。たまたまそこに友人の運転手がいたものだから、「これから浜名湖まで行ってくるよ」とこっそり話すと「また冗談言って」と笑い飛ばします。

「いや、本当なんだよ」と続けると、「本当か、それはたまげた」。それから聞きつけた運転手たちが何人か集まってきて、「高速での遠距離、気を付けてな」「居眠りしないように」「腕が鳴るな。同業としてうらやましいよ」と、声を掛けてくれます。

 普段はライバルの運転手たちも、ここ一番はやはり働く仲間同士。約300kmという大仕事を前に、何だか胸がジーンとしました。

 さて、車はおもむろに首都高速で渋谷を通り抜け、用賀から東名を一直線です。

東京の街を行くタクシーのイメージ

4時間超の車内で筆者が考えていたこと

 これまで何度も長距離の客を乗せて走りましたが、県境をいくつもまたぐほどの距離は初めてです。車は神奈川の海老名サービスエリアと静岡の日本平パーキングエリアでトイレ休憩を取って、浜松西で降りて浜名湖まで。

 トータル4時間と少しの道中でした。車内の密室で、そんな長い時間を4人きりだから、何か話し掛けて雰囲気を和らげるべきかと最初は思案したが、結局はほとんど黙ったままでした。

 時折両親が息子に小声で何か話し掛けているようでしたが、なるべく聞かないよう運転に集中しました。事情が事情です。特に今回のような場合はプライバシーには立ち入らないようにするのが得策でしょう。

 とにかく前だけを見て走りましたが、一番記憶に残っているのは物流の大型トラックが多いこと。追い抜かれる際の風圧がとにかくすごい。トラックは制限速度を少し上回る感じだが、とにかく荷物満載で先を急ぐプロ根性。ただただ脱帽したのを覚えています。

 家出息子の親不孝は困りものだが、若い頃というのは誰でもいろいろあるものだ。失敗をいくつも経験して大人になっていく。どうかこの親子にも、いっぱい幸せが巡りますように……。そう心の中で念じました。

 4時間超という長い長い旅を終えて、何とか3人を送り届けることができました。何度も頭を下げる両親にこちらも頭を下げ返して、家へと戻っていく背中を見送りました。

 浜名湖といばうなぎの産地。遠州灘は波が荒いのに、内側の湖は全く静かです。釣り宿もあちらこちらにありました。この辺りの人は独特の方言もあって、筆者はラーメン屋で麺をズズーっとすすりながら、女将さんと客の土地なまりを聞いていると、あらためてずいぶん遠くまで来たものだと実感しました。

 この日の売上はトータル12万円。初乗り運賃が2km600円台の時代です。言うまでもなく、その日の社内でナンバーワンでした。

(橋本英男)