私は利他主義者に嫌悪感を抱いていますが、BBCの記事を読んでとても安心したので、ほとんどの人が思ってきたことをようやく言えるようになりました。

それは、「私利私欲のない人間は絶対に最悪だ」ということです。

この歩く聖人たちは、厄介で、聖人ぶっていて、心底嫌な奴らです。

そう言うと、私のことを人間嫌いだと思うかもしれません。しかし、普段は認めていなくても、私のように感じるのが当たり前であり、これは進化の過程で人間に植え付けられた感情かもしれないのです。

利他的な人たちへの反感(心理学者が言うところの「善意者蔑視」)は、よく見受けられ、文化を超え、幼少期に現れ、さらに、人類の進化に深く関わっているかもしれません。

実際、私たちは利他主義に対して非常に反感があり、利己主義と同じくらい嫌っています。

公共の場での寄付に対する人々の反応を調べるためにつくられたゲームの研究がいくつもありますが、それによると、プレイヤーは寄付が少なすぎる人にも多すぎる人にも同じようにダメ出しをするそうです。

なぜ善人ぶる人を嫌うのか

利他的な人たちを嫌う動機について、進化心理学では次のようにとらえています。

たとえば、原始人の間では、気前の良さが集団の結束力を高める一方で、気前の良い人が集団の中で高い地位を得ることもよくありました。

進化心理学で多くの仮定がなされているように、人類の祖先は人生をゼロサムゲームと見なしていたようなので、誰かが地位を上げようとするのを見るのが嫌でした。

なぜなら、それは自分が下がることを意味するからです。これにより、純粋に無欲に見える人に対して私たちがしばしば感じる本質的な不信感や嫌悪感を説明することができます。

ここで重要なのは「〜のように見える」というところです。たとえほんのわずかであっても、寛大な人が寛大であることをこちらに思い出させると、私たちはその人を嫌う傾向があります。

無私無欲であることに対して明らかに何らかの報酬を求めている人たちを見ると、私たちはそういう人たちを嫌う傾向があります。その人がなぜ無私無欲なのかわからないと、懐疑心を持つのが関の山です。

「白馬の王子」と「太鼓持ち」は嫌われる

性差別の激しいネット愚民の世界では、「白馬の王子(ホワイトナイト)」はネット上で女性を擁護する男性に対して浴びせられる侮辱の言葉です。

ネット民たちは、「あの女性にセクハラをするな」と言うこと自体は必ずしも悪いとは思っていません。「白馬の王子」を気取った動機に猜疑心を抱いているのです。

白馬の王子の実際の目的は、擁護している女性に取り入ること、あるいは、良し悪しは別として、救世主と見なされることだと思われています。いずれにしても、問題となるのは不純な動機です(Simpも参照してください)。

「彼女にセクハラしないでください。私の妹なんです」と投稿している人の動機は、地位の向上や個人的な利益を期待することで損なわれていないので、白馬の王子と呼ばれることはないでしょう。

これは、学校のクラスで太鼓持ち的言動の同級生を嫌う生徒たちと似ています。

先生を助けようとすること自体は悪いことではありませんが、先生にゴマをすってご機嫌を取ろうとすることは、他の子どもたちにとっては大変疑わしく、嫌悪感を抱かせる行動であり、特に太鼓持ちがそれを隠そうとしない場合はなおさらです。

私たちは、行動の動機を行動そのものと同じくらい重要視する傾向があります。

特に、一見無私無欲のように見える行動に関しては、その行動の背後にあるものを実際には知らなくても、しばしば最悪の結論に飛びついてしまいます。

慈善活動をするときは自己認識が必要

ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンで進化と行動を研究しているNichola Raihani教授が行なった、オンライン・チャリティ募金に関する調査によると、匿名で寄付をする可能性がある人は2種類あり、それは「最も低額の寄付をする人たち」と「最も高額の寄付をする人たち」です。

これは、多くの利他的な人たちが、自分の寄付が他人の反感を買う可能性があることを認識していることを示しているように思われます。

それが、これ見よがしに寄付する人に対して、あらたな嫌悪感を生みます。彼らはもっと自意識を持つべきだと思うからです。

社会的なやり取りは複雑で微妙なものです。

「他人を大切に思っている」と言う人たちが私たちの感情を無視することは、逆説的に言えば、「実は他人のことを全く気にしていない」ことを示しているようにも見えます。

私たちがどう感じるか気にしていないのは確かですよね?

これを実生活でどう生かすか

「世界をより良い場所にする」など、何であれ情け深い心が目指していること以上に他人を助ける動機がないなら、それはそれで構いません。

しかし、忘れてはならないのは、「与えることは、それ自体が報酬である」ということです。ですから、慈善活動は静かに続けるべきです。

「昼休みに孤児たちに本を読み聞かせている」とわざわざ発表してはいけません。黙々とやりましょう。

人から聞かれない限り、自分の犬を「保護犬」と呼ぶのはやめましょう(せめて、「シェルター犬」と言ってください。その方がはるかに気取りがありません)。

また、優越感を漂わせながら、半分笑みを浮かべて歩くのもやめましょう。本心は見抜かれていますよ。

もし、寛大さに下心があるのなら、それはそれでいいと思います。私は批判しているわけではありません。寛大で親切だと思われることは、現実的にもメリットがありますが、周囲からどう思われるか賢く考えなければなりません。

覚えておいてほしいのですが、重要なのは、あなたが寄付をする動機を周囲がどう思っているかです(Jeff Bezosが10億ドルを寄付したとき、真っ先に疑われたのは、税金対策ではないかということでした。もしそうなら褒められたことではありません)。

寛大でない人は、善行をして報酬を受け取っている人を恨みませんが、同じ報酬を狙っているように見える人を恨むことが研究で実証されています。ですから、他人に褒めてもらうときは目立たないようにしましょう。

そして、誰かの寛大さがもたらすポジティブな効果に注目し、寄付をした人を疑ってみたり、寄付の動機が怪しいと決めつけたりしないようにしましょう。

それが難しい人もいるかもしれませんが、私には簡単です。私のように無欲な人間は、本能的に他人に共感を覚えますからね。

あなたが世界のためにできる たったひとつのこと 〈効果的な利他主義〉のすすめ 1,870 Amazonで見る 1,870 楽天で見る !function(t,e){if(!t.getElementById(e)){var n=t.createElement("script");n.id=e,n.src="https://araklet.mediagene.co.jp/resource/araklet.js",t.body.appendChild(n)}}(document,"loadAraklet")

Source: BBC, PsyArxiv, Science, Frontiers in Psychology, APA PsycNet, Urban Dictionary(1, 2)