袴田巌さんの再審の行方を見守ってきた人は福岡県にもいます。

 島内和子さん。83歳。袴田さんの無罪を願っています。

島内和子さん:
「早く決まって早く終わって欲しい。それだけ。いいようにね。いいように終わってもらいたい。早く袴田さんを自由にさせてあげたい」

 島内さんは、1968年静岡地裁の一審で、袴田さんに対して死刑判決文を書いた裁判官、熊本典道さんのパートナーです。

 熊本さんは、2007年。守秘義務を破って、異例の告白をしたのです。袴田さんに無罪の心証を持っていたが、合議での多数決でやむを得ず死刑の判決文を書いたというのです。

熊本典道さん:
「まさかこんなところで私の声を聞いてもらえるとは思わなかった。私は言ってみれば殺人未遂犯ですよ 片棒を担ぎかけたんだ」

 熊本さんは、異例の告白の後、袴田さんが当時収監されていた東京拘置所にも足を運びましたが、その時は面会はかないませんでした。

島内和子さん:
「自分が悪いしか言わないんですよ。自分が悪かったって。私もそのころよく分からなくてまだ知り合って間もない頃だし、最初はうんうんという感じで聞いていたけどだんだんと分かってきて本当大変なところにいたんだなと」

 袴田さんに対し日々、謝罪の思いを抱いていた熊本さん。2020年、袴田さんの無罪判決を聞かぬまま、83歳でこの世を去りました。

島内和子さん:
「最後に病院で会った時にはすまんと言ったんですよね。それが本当の最後の。本人は最後の言葉だったかもしれないけど。私たちも聞くのは初めて。本当叫ぶようにすまん巌すまん巌巌3回言いましたね巌って」

 現在、福岡県の教会に眠る熊本さん。島内さんは毎週、ここを訪れ、近況を報告しています。

島内和子さん:
「(裁判の結果を)一番見たかったんじゃないですか自分が/早く無罪になればいいなと一生懸命祈っていると思います」

 熊本さんの告白は、ひで子さんに闘う勇気を与えました。2023年10月から行われている14回の裁判で訴え続けてきた「無実」

ひで子さん:「弟・巌に真の自由をお与えください」

 熊本さんの告白に加えてもう1つ、ひで子さんを励まし続けたもの。それは袴田さんが、獄中から、家族に宛てた「手紙」です。押し入れには、積み上げられたプラスティックのトレーが。                                                                                                                                                                                                                                                                                       

 袴田さんからの手紙は、はがきや便箋など合わせて1万枚にも及びます。しかし、拘置所生活が長くなるにつれ、文字も文章も、徐々に乱れていきます。それでも、しっかりと、無実を訴えた言葉があります。

手紙読み上げ:
「私は明らかに無実であり、この死刑台から私を救済してくださいますようお願いいたします。負けてたまるか。私は無実だ」

ひで子さん:
「まともな時に書いたものがあるから、それには相当のことが書いてあるからね」

 無実を確信させてくれた手紙。ひで子さんはあす法廷で、これらの袴田さんの手紙を読み上げる予定です。

ひで子さん:
「巖の裁判だから巖の気持ちの通じるものを読もうと思っている。今はあんな風で言えないでしょ。だから巌の言わんとすることね。巌の望んでることを言う。端的に無実であることを訴えたいと思っている。真実を求めているってことをね、私たちは。もうそれに尽きる」