検察は再び死刑を求刑しました。静岡地裁で行われているいわゆる袴田事件の再審公判が結審しました。検察の死刑求刑に対して弁護団は「またしてもえん罪を作ろうとする極悪非道の論告だと批判しました。

 発生から58年。再び節目の日を迎えました。

Q.きょう結審だが今の気持ちは?

姉・袴田ひで子さん
「普通に平常心でございますが、裁判にも慣れたようなもんで。普通でございます」

Q.再審開始からきょうまで長かった?

「やっぱりこの1年は長く感じた。58年闘っていますが、一番長く感じました。巌にはきょうは「静岡いってくる、きょうでおしまいだからね」と言っておいた。裁判だからとは言わないで「静岡行くのきょうでおしまいだからね、夕方帰ってくるからね」と言ったら「ああ、そう」と言っていた」

 取材対応を終えると、静岡地裁へと向かいました。

傍聴券を求める人の列

和田佳代子記者
「一般傍聴席の抽選整理券を求めて多くの人が並んでいます。ちょうど今整理券の交付が始まりました。注目度の高さが伺えます」

 いわゆる袴田事件の再審=やり直しの裁判。

 22日15回目の公判ですべての審理を終えるとあって傍聴席を求める多くの人が…。

傍聴を希望した人:
「なぜ、こんなにも時間がかかったのか。1人の人生が大きく左右された大きく事件、関心がある」

 26席の傍聴席に対して224人が訪れました。

和田佳代子記者 
「午前10時25分です。多くの支援者に見送られながら、ひで子さんや弁護団が静岡地裁に入ります」

 笑顔を見せながら裁判所に入った、ひで子さん。

 きょうは意見陳述が予定されています。

姉・袴田ひで子さん:
「巌の裁判ですので巌に代わって、巌の言いたいことを申し上げるつもりです」

入廷するひで子さん

1966年

 1966年、旧清水市でみそ会社の専務一家4人が殺害された事件。

 逮捕されたのが元プロボクサーで、当時30歳の袴田巌さんです。

 1980年に死刑が確定しましたが、袴田さんはこれまで一貫して「無実」を訴えてきました。

当時30歳の袴田巌さん

検察が求刑

 午前11時に始まった22日の裁判。

 今回の再審公判で初めて、検察側が被害者夫婦の孫の意見陳述を読み上げました。

検察官(男性):
「母は事件を忘れられず、精神的な苦痛を受けました。本来は何不自由ない人生を送るはずでした。母を犯人視する書き込みもありました。1度に4人の家族を失った被害者の恐怖や悲しみがどれほどのものか、人様にわかるでしょうか。当時の証拠を再度調べて真実を明らかにしてほしい」

 その後、検察側は論告で「犯人は被告人で、金品を得る目的で犯行に及んだ」、

「5点の衣類は犯行着衣であり、いずれも被告のもの」と主張しました。

検察官(男性)
「被告人が作業スペースだったタンクに犯行着衣を隠匿(いんとく)するのは自然なこと。5点の衣類を捏造とする弁護側の主張に合理的な根拠はない」

 そして…。

検察官(男性) 求刑
「被告人は33年余り死刑囚として身柄を拘束され、訴訟能力の観点からは心神喪失の状態と認定されているが、身柄拘束等の事情は量刑事情を何ら変更させるものではない。被告人の罪責は誠に重大。死刑に処すのが相当と思料する」

 袴田さんに再び突き付けられた、死刑求刑。

検察が求刑(イラスト)

弁護側の最終弁論

 これに対し、弁護側は「5点の衣類は捜査機関が捏造した証拠」などと、検察側を強く非難しました。

弁護側(男性)
「検察は巌さんについて合理的疑いのある証拠もないのに、またしても冤罪をつくろうとする極悪非道の論告を行った」

主任弁護人の小川弁護士は最終弁論で
「再審公判が始まって7カ月間、巌さんの無罪が明確になった。 巌さんが無罪であるという事実は誰も動かせない。袴田巌さんは無罪です」
と述べました。

静岡地裁

ひで子さんの意見陳述

 発生から半世紀以上が経ち、大きな節目を迎えている袴田事件。

 姉・ひで子さんは、袴田さんが獄中から家族に宛てた手紙を抜粋して、意見陳述を行いました。

「立ち上がっても投獄されればもはや帰れない。もはや正義もない。声の限りに叫びたい衝動にかられてならない。そして胸いっぱいになった真の怒りをぶちまけたい。お母さん、とおからず無実を立証して帰りますからね」

 判決は9月26日(木)に言い渡されます。

ひで子さんの意見陳述