1990年代から盛んに重要性が叫ばれはじめ、世界中で信奉され続けてきたグローバリズム。しかし日本にもたらされたのは、望んでいたものとはほど遠い結果だったことは誰の目から見ても明らかです。なぜこのような状況となってしまったのでしょうか。今回のメルマガ『j-fashion journal』ではファッションビジネスコンサルタントの坂口昌章さんが、グローバリズムが日本経済を衰退させた要因を解説。さらにこの先我が国が進むべき道を考察しています。

※本記事のタイトル・見出しはMAG2NEWS編集部によるものです/メルマガ原題:小さな経済圏で格差解消

グローバリズムは日本を弱体化させるための戦略。小さな経済圏で格差解消を 1.グローバリズムの損得勘定

世界は一つの巨大な市場である。世界規模で最も効率的なサプライチェーンを構築すれば、価格競争力を獲得し、市場シェアを高めることができる。それにより、巨大な売上と利益が確保できる。これがグローバリズムだ。

国内でも同様のことが起きた。大型スーパーの出店は、地元の商店街の小規模小売業を淘汰した。大型スーパーはスケールメリットにより、価格競争力を身につけ、市場シェアを高め、巨大な利益を確保したのだ。

地元の商店街を保護するには、大型スーパーの出店を規制しなければならない。国内製造業を保護するには、輸入を規制しなければならない。しかし、貿易の自由化、資本の自由化は消費者利益を守る良いことだと言われた。しかし、消費者は労働者でもあり、企業の経営者でもある。輸入品との価格競争に負けて、倒産すれば失業するし、低価格商品と競争するには、コストカットが必要になる。その結果、消費者の可処分所得は減少するのだ。消費者利益の保護といっても、消費者の所得が減少したのでは意味がない。

消費者利益の保護という大義名分の元に行われたグローバリズムは、結果的にデフレを招き、日本の経済を衰退させ、消費も減退したのである。

グローバリズムで得をしたのは、中国とウォール街と商社だ。少なくとも大多数の日本企業、日本人にはマイナスだった。

現在、中国経済が衰退し、ウォール街もショックを受けている。生産拠点は分散し、その一部は日本にも回帰した。それだけで、日本経済は明るい兆しが見えてきた。中国経済と日本経済は相反する関係なのだ。

勿論、その中でも利益を上げた日本企業もある。中国生産、中国市場、日中貿易で利益を上げた企業だ。中国生産した商品を中国市場で販売するビジネスモデルは最強だった。トヨタやユニクロがその代表だ。

グローバリズムは、ごく少数の商社と圧倒的多数の敗者を生み出す。つまり、経済格差が拡大するのだ。

2.新たなグローバリズと日本の魅力

今後も、グローバルビジネスが消えることはない。中国生産が東南アジア生産、インド生産に移行するだけだ。

しかし、一部の製造業が国内回帰し、インバウンドの観光客が増えたことで、多少なりとも国内製造業も国内消費も拡大するに違いない。

国内の多くの中小零細企業は、国内市場向けのビジネスを行っている。幸いにも日本の国内市場はそれなりの規模がある。

しかも、中国政府が日本に圧力を掛けていることもあり、国民の対中感情も悪化している。できれば、国産商品だけで成果したいと考える消費者は少なくない。対中感情の悪化は日本だけではない。世界中が中国の高圧的な態度に呆れている。

逆に、世界の対日感情は良くなっている。日本の歴史、文化、自然、日本人の礼儀正しさや優しさは世界中で評価されてる。日本製の製品についても、デザイン、性能、品質が良いという評価が定着している。

円安の為替も国内製造業者には有利だ。インバウンドの観光客だけでなく、輸出の可能性も高まっている。しかし、輸出向けの商品を作るのではなく、日本国内のビジネスの延長に個人向け輸出を加えるという発想が良いだろう。

3.持続可能性とシェアリング

中小零細企業にとって、重要なのは国内市場であり、地元の市場である。まず、地元の顧客に支持されるような商品、サービスを考える。それが地方の人に受けるかもしれないし、海外の人に受けるかもしれない。しかし、重要なことは地元の人に愛されることだ。地元の人に愛される商品、サービスを考えるには、地元で暮らしている自分自身の心に問いかけることだ。

日本が世界に愛されているのならば、日本人のセンスや発想は世界に受けいれられるだろう。そういう意味で、我々は良い時代に生きている。

小さな経済圏で活躍するのは、多くの中小零細企業である。会社単位でみれば、生産性は低いが、その分、雇用は守られる。地域単位で考えると、競争の原理で一社だけが勝ち残っても意味はない。むしろ、多くの企業が共存し、多くの雇用を生み出し、安定した生活を提供することが大切だ。企業の利益を上げることではなく、社員の生活を優先するという考え方だ。そもそも株主の利益を優先することは、外国人投資家の利益を優先することに他ならない。

地域社会に必要なことは、持続可能性であり、利益をシェアする仕組みである。資本家のためではなく、地域住民のための経済。それをどのように構築するかが問われているのだ。

4.地域を独立国と考える

グローバリズムでは、国境なんて意味がないという。世界は一つと考える。固有の国や民族、宗教の文化も必要ない。それらは、分断を生み出すだけだと。したがって、グローバリズムにとって、アイデンティティは邪魔なだけだ。

グローバリズムを追求すると、無宗教の全体主義国家に近づいていく。世界政府による計画経済。個人の自由は認めずに統制を強める国家。個人的にはそんな国家に住みたくない。むしろ、国家のアイデンティティを重視したいと思う。

国の文化や歴史を守り、その国らしさを失わないようにすること。国境は大切であり、不法移民を無条件に受けいれるべきではない。

例えば、各市町村を独立国と考える。その国は、どんな憲法が必要なのか。どんな産業が、どんな外交が必要なのかを考える。

完全な自給自足ができないならば、外国との貿易は不可欠だ。その場合、何をもってして外貨を稼ぐのか。

この発想は、江戸時代の幕藩体制に似ている。各藩は名産品を開発し、外貨を稼いだ。そして、藩の中で独自の祭や市を開き、人を集めた。

ローカルビジネスを考える時、江戸時代の幕藩体制は良いモデルになる。現在まで伝わる名産品にはどんな歴史と背景があるのか調べ、現代に応用するのも良いと思う。

編集後記「締めの都々逸」

「自分の心に問いかけながら 周囲に幸せ 広げたい」

一人勝ちって駄目なんだと思います。日本経済が一人勝ちしてたら、円高に誘導されました。冬季五輪のスキージャンプで日本が一人勝ちした時もスキー板の基準が変更されました。一人勝ちするとルールが変更されるのです。

中国も日本と同じ経験をしています。中国経済が一人勝ちになると、米国は関税を掛けました。現在はEUもEV輸入関税を検討しています。

独占が許されるのは、米国だけです。米国の軍事力と金融力が背景にあってこそ、独占が認められるのです。ですから、日本や中国が独占すると必ず規制を受けます。

競争は市場やビジネスを活性化するために許されているのであり、特定の国や企業が独占するためではないのです。

ですから、目立たぬようにはしゃがぬように似合わぬことは無理をせず時代遅れが丁度いいのでしょう。(坂口昌章)

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