岡山・香川両県は瀬戸内海を挟み、民放ローカルテレビ局の電波が相互乗り入れしている地方では珍しいエリアだ。岡山側に3局、香川側に2局。5大ネットワークがすべて視聴できる利便性を両県居住者は当たり前のように享受しているが、県外からの来訪者に驚かれることもある。なぜ同じ放送エリアになったのか。その経緯を探ってみると、意外な歴史があった―。

 倉敷市から香川大に進んだ大学3年男子(21)は、高校時代までに見ていたテレビと全く同じ番組が見られることに最初はちょっとした驚きがあったという。「テレビ番組が岡山と一緒だから、最初は引っ越した感じがしませんでした」と笑う。

通称、「岡高地域」

 ローカル局の放送エリアは1県1局が原則だ。岡山を管轄する中国総合通信局(広島市)によると、放送エリアが複数の県にまたがるのは、キー局や準キー局が広域的に運用している関東、近畿、中京の三大都市圏と、山陰地方の鳥取・島根県エリアだけだという。

 「鳥取、島根は陸続きで、山陰地方として文化圏はほぼ同じ。これに対して、岡山と香川は中国地方と四国地方の異なる文化圏に分かれているのに放送エリアが一緒なのは全国でもここだけ。岡山の『岡』と香川県高松市の『高』をとって、『岡高地域』という名称がついているくらい」と同通信局放送課は指摘する。

かつては単県での新局誘致も

 なぜこういう状況が生まれたのだろうか。まず岡山のテレビ放送の歴史を振り返ると、トップを切ったのは1957年のNHK岡山。民放として中四国初の本放送を開始したのが1958年6月、岡山市に本社を置くTBS系のRSK山陽放送だ。その1カ月後の7月、高松市が本社の西日本放送(RNC、日本テレビ系)がスタート。それから10年が過ぎて68年12月、岡山市に岡山放送(OHK、フジテレビ系)、翌69年4月に高松市で瀬戸内海放送(KSB、テレビ朝日系)が放送を始め、民放はこの時点で岡山県内2局、香川県内2局の体制になった。

 この時、民放4社は本社を置く地元の県だけに向けて電波を飛ばしていた。すると陸地に比べて遮へい物が少ない瀬戸内海を電波が越え、瀬戸内沿岸の岡山県南部と、面積が小さくて平地が大半の香川県のほぼ全域で、互いの県の放送する番組が見られる状態になった。

 ただ、岡山県北部と中部の山間地には香川県に本社を置く2局の電波が届きにくく、住民は番組を安定して視聴できない。同じ岡山県内なのに受信できるチャンネルに差があることに対し、難視聴地域の住民からすべてのチャンネルが見られるようにしてほしいという要望が高まった。1979年4月、放送エリアを管轄する旧郵政省(現総務省)が、電波監理審議会の答申を受け、岡山、香川両県の民放テレビ放送の相互乗り入れを決めた。瀬戸大橋の開通(88年4月)に先んじて、放送エリアは両県が一体化していたことになる。

認可求めて競願合戦激しく

 しかし相互乗り入れ決定は、一筋縄ではいかなかったようだ。民放ローカル局の設立が相次いだ高度成長期は、テレビ局の経営が高収益で成長株と見られていた。UHF電波を利用した放送局新設の時代になると、岡山・香川両県ともに産官あげて地元県へのテレビ局新設の認可を求める「競願合戦」が激しさを増していた。

 1967年11月16日付の山陽新聞朝刊には「競願合戦 岡山からは4局 強引な“駆け込み”も」の見出しがに踊る。記事では岡山県内の動きについて「4社が財界人のまとまりの悪さをむきだしにして請願するなど、各地で競願合戦が激化」、香川県でも申請済み1社に加えて新たに1社が新局の駆け込み申請したことを挙げ、「その一本化をめぐって県政財界、特に自民党県連の分裂さえもとりざたされる激しい競願となった」と舞台裏を報じている。

 その後もせめぎ合いが続いたが、相互乗り入れを答申した電波監理審議会の意見にあるように、「岡山、香川県の経済力、人口からみて、両県を一つのエリアとして岡山、香川に2局ずつにしたほうが合理的、効率的」という方針で落ち着いたようだ。

長短それぞれ

 電波の相互乗り入れによって、岡山、香川県に本社を置く民放4局は視聴の難しい地域が出ないよう、瀬戸内海放送が小豆島中継局の電波の出力を増強したり、OHKが金甲山送信所の電波を香川県に届きやすくなるよう再設定したりと調整。さらに岡山県側の2局が香川県内、香川県側の2局が岡山県内に中継局を増設。今では中継局の数は岡山県内で80カ所にも上る。

 2県がエリアになったことで、放送局側にはメリットもデメリットもあったようだ。営業面では「電波の中継設備を増やしたり、本社がない方の県にも営業や取材の拠点を置いたりすることが必要で経費はかかる。一方でCMのスポンサー営業では対象となる企業、自治体が増え、かなりのメリットになった」と岡山市に本社のあるテレビ局社員が明かす。

 また元KSBアナウンサーで、フリーアナウンサーとして県内外の放送局に出演している多賀公人さん(59)=岡山市北区=は番組制作について「瀬戸内海をまたいで取材できるので毎日が新鮮だった。狭いエリアにとらわれず、俯瞰(ふかん)で物事を見ることもできた。半面、両県の歴史や文化、言葉も違うので、岡山、香川どちらのニュースをトップにするのかという順番などについてはいつも悩んだ」と話す。

数少ない5局視聴

 現在の民放5局がそろったのは、テレビ東京系列のテレビせとうち(TSC)が岡山市に開局した1985年10月1日。TSC開局は、テレビ東京のフルネット局としては三大都市圏に続いて4番目、地方局としては初めてだった。79年に岡山、香川両県で電波の相互乗り入れが始まっていたことから、これで民放テレビの5大ネットワークが完成した。「三大都市圏を除いて視聴可能なチャンネル数が五つあるのは岡山、香川県のほかは、北海道、福岡県しかない」(中国通信局)という。

 TSC開局当時、週刊少年ジャンプで注目を集めたサッカー漫画「キャプテン翼」などテレビ東京が強みを発揮していたアニメ番組が、東京と同じ時間帯で、リアルタイムで見られるようになったと喜んだ中高校生も多かったというのが、当時を知る関係者の語り草だ。

 全国の都道府県の民放チャンネル数は、最も少ないのは徳島県と佐賀県で1局のみ。次に少ない2局は山梨、福井、宮崎の3県。3局は山口、鳥取、島根、高知など8県、4局は広島、愛媛など13県、5局は大阪、名古屋圏などの14道府県、最多の6局は5大ネットワークに、東京都域のローカル局である東京メトロポリタンテレビジョン(東京MX)を加えた東京、神奈川、千葉、埼玉、群馬、栃木の6都県となっている。

 ただ、1局しかない地域であっても、民放1局にNHK総合、同教育の3チャンネル分しか番組が見られないわけではない。徳島市に住む会社員男性(54)に聞くと、沿岸地域は近畿圏の電波が海を超えてくるし、海から離れた地域は、別料金がかかるもののケーブルテレビを通じて他局の番組を見ることも可能。特に生活で不便は感じないそうだ。一番やっかいなのは「イメージ」で、「出張などで他県に行った時、『民放が1局しかないなんて、とんでもない田舎なんですね』と言われることも少なくない。いちいち説明するのも面倒で…」と苦笑する。

 夏休みも中盤を迎え、旅行や帰省で地方に行く機会もあるだろう。そんな時、視聴できるテレビのチャンネル数を確認してみると、おもしろいかもしれない。

(まいどなニュース/山陽新聞)