吉備高原の広がる岡山県中部の「魔法」の名のつく神社が、SNSかいわいを騒がせている。「魔法神社」(総社市槁)と「魔法宮 火雷(からい)神社」(吉備中央町上田西)。訪れづらい山の中にあるにもかかわらず、インパクトのある名前にひかれてか、「歴代1位のネーミング」「今日は魔法巡り♡」などの投稿がSNSに相次ぐ。現地を訪ね、何の神様なのか、その名前の由来などを調べてみた。

 国道180号から魔法神社に向かう県道306号(賀陽種井線)は、「険道」と呼びたくなるほど細く、曲がりくねっていた。車で15分ほど登った峠の道路脇に、「魔法神社」の石柱が立つ。参道入り口にしつらえたしめ縄をくぐり、60段の石段を登ると、木々に囲まれたほぼ円形の境内が現れた。広さは保育園の平均的な園庭くらいのイメージだ。

 拝殿のさい銭箱の横には50センチほどの真っ青なタヌキの像が大小計4体。ビールや水などが供えられていた。像はさほど古いものではないようだ。参道も境内も草刈りや清掃が行き届いており、地域の神様として地元の人たちが大事に守ってきたことがうかがえる。県道からも離れており、聞こえるのはセミの音だけ。厳かな雰囲気があった。

■「摩利支天」が変化

 地元の人たちに「魔法さま」と呼ばれている魔法神社。気になる名前の由来について、宮総代の井上憲司さん(70)が「元々この地にあった神社に祭られた『摩利支天』が転じたのではないか」と教えてくれた。「摩利支天」は仏教の守護神で、陽炎(かげろう)が神格化した神様。一文字目の「摩」の字が似ており、そこから変化したと思われるという。

 槁(けやき)地区は高梁市、吉備中央町と境を接する総社市の最北端にある。かつては30戸以上あった集落はほぼ半減。井上さんは「私が子どもの頃には拝殿前に牛の市が立っていた。コロナ禍までは8月下旬に祭りを開き、花火を打ち上げていた。高梁市、吉備中央町から見物にたくさんの人が来てにぎやかだった」と振り返る。

 「総社市史 民俗編」にも「境内の碑の下面に『為牛馬繁栄』と刻んである。牛飼いの盛んなころには遠方からも参詣人が集まった。高梁の家畜市場からは毎年参詣した」との記述がある。広い境内があるのは牛を連れて参拝しやすくするためと推察される。

 拝殿に置かれたノートには関東地方など遠方からの訪問者の名前が書かれていた。ツイッターやインスタグラムで「魔法神社」で検索すると、「(ゲームドラゴンクエストの強力な呪文)メラゾーマが使える魔力を授かりました」「イヤイヤ期の子どもの叫び声のボリュームを下げられる魔法が使えるようになーれ♡」「♪マハリークマハーリタヤンバラヤンヤンヤン(アニメ魔法使いサリーの呪文)」などと、それぞれがユーモアたっぷりに書き込んでいた。

 「集落が高齢化し、コロナ禍もあって祭りがなくなってさみしい気持ちもあった。名前が注目され、こんな田舎を取り上げてもらう機会が増えてうれしく思っている」と井上さん。祭る神について聞くと、「キュウモウというタヌキの伝説から、タヌキを祭っているとされているが、詳しいことは分からない」と言う。

■民話に起源

 もう一つの「魔法」がつく神社が、槁地区から北東方向約20キロの「魔法宮 火雷神社」。タヌキに関する民話が複数残っており、タヌキを祭る謎を解明する手掛かりがつかめそうだ。

 県道306号を抜け、山あいの迷路のような道を通って「吉備中央町上田西158」を目指す。車を停められる場所からスマホの地図アプリを手にうろうろ。ようやく道路わきに「魔法宮 火雷神社」の石柱を見つけた。

 両脇に木々が生い茂り、車で通るのは難しそうな山道を200メートルほど進むと、建物が見えた。拝殿の正面に高さ3メートルほどある立派な石造りの鳥居があり、上部中央に「火雷神社」と彫られた額束が掲げられている。さい銭箱や、お参りの際にガランガランと鳴らす本坪鈴もあった。しめ縄も施され、きちんと手入れされているようだ。

 この神社に関しては、「吉備中央町のむかし話 岡山『へその町』の再話集」(立石憲利、吉備中央図書館編著)などに、さまざまな伝説や昔話が収録されている。微妙な違いはあるが、概ねこういう話のようだ。

<今から約400年前、キリスト教を広めようとする宣教師の船に紛れ込んだキュウモウというタヌキが日本を訪れた。堺の港からあざえ村(現在の真庭市呰部地区)、現在の加茂川町の黒杭山(魔法宮のある山)へ牛車で転々とし、人間の姿に化け、いたずらをしては村人を困らせていた。我慢ならなくなった村人がキュウモウ退治で決起。するとキュウモウは村人たちに「これからは百姓が大切にしている牛馬を助け、火難、盗難を知らせてあげよう」と言ったことから、村人は黒杭山(現在の火雷神社のある山)の摩利支天のお宮のそばに魔法様としておまつりすることにした>

 キュウモウは槁周辺地区にも立ち寄ったという話もあり、同地区の魔法神社にタヌキが祭られている話ともつながった。

 上田西地区に住む町文化財保護委員の楢嵜重喜さん(79)は「トラクターなどの重機がない時代、どこの農家も開墾や荷物を運ぶための牛を1頭は飼っており、牛の守護神は貴重な存在。上田西地区以外からも参拝に訪れていた」と話す。

 時は流れ、畜産農家以外に牛を飼う家はほとんどなくなり、地域自体の過疎化で魔法宮を訪れる人たちは減っていった。それでも5月4日と10月第一日曜日の清掃活動は続く。コロナ禍で休止中ながら、3年前までは5月は祭りを開き、地元でついた餅を使い、餅まきをしていた。地域の生活の中で根付いている。

■楽しみ方はそれぞれ

 現地に足を運び、古老の話から摩利支天、キュウモウの民話などに触れ、名前の由来や、タヌキを祭る理由が分かってきた。すると「魔法」というキーワードにひかれて現地を訪ねた人を見つけた。今年4月から吉備中央町地域おこし協力隊員になった村上良幸さん(兵庫県姫路市出身)。キュウモウの伝説をベースに、独自の調査と考察を行い、町広報紙9月号に発表した。

 村上さんはキュウモウが日本で最初に訪れた堺は鉄砲づくりが有名で、黒杭山には花火の色付けに使う銅の鉱山があり、牛糞には火薬原料の硝石が含まれていることに着目。「キュウモウとはタヌキの妖怪というより、当時の人にとって魔法のような火薬を扱う科学者(当時は錬金術師)だったのではないか」と結んだ。

 「最初はファンタジー的な要素への興味で出かけたが、調べるうちに奥深い歴史が関わっていることが分かった。調べれば調べるほど広がりがあるテーマ。今後も調査を続けたい」と村上さん。

 村上さんのように資料を読み解き、仮説を立てるのも楽しそうだ。記者は、魔法使いっぽく見える画像の撮影に挑戦してみた。歴史好きも、単純に名前に興味を持った人も、それぞれの楽しみ方ができる。ぜひ一度足を運んでもらいたい。

(まいどなニュース/山陽新聞)