週に3日だけ、ラーメンが食べられるお寺がある−。

 同僚からこんな情報を聞き、向かったのは京都府宇治市の萬福寺(まんぷくじ)。江戸時代の1661年に開かれた禅宗の宗派「黄檗(おうばく)宗」の本山だ。広い山内にある末寺の「宝蔵院」が10月からラーメンの提供を始めた。

 寺院の入り口には「寺そば」と書かれた看板があった。本堂の前のテントで、エプロン姿のシニアスタッフがカセットコンロで麺を湯がいている。ラーメンは「露店」で調理され、利用者は本堂の畳にしつらえたテーブルで食すスタイルだ。

 メニューは1種類。訪れた11月10日は「味噌(みそ)豆乳」味だった。とろりとした白いスープが器の中にわずかにたまるラーメンは、クリームパスタのようにも見える。営業時間は午前11時〜午後2時の3時間だけ、しかも1日30食に限定されている。この日は開店と同時に数人が訪れた。

 「今まで食べたことのない味。お寺らしく精進料理のような味付けでおいしい」。ラーメン店巡りが趣味という近くの男性(57)は、そう言って追加注文した2杯目も平らげた。本尊の仏像が安置された仏堂で、人々が中華麺をすするのは見たことがない光景だ。

 お寺で提供するだけに、チャーシューはもちろん、動物性油も一切使用していない。コクのあるスープの原料は、昆布やシイタケに加え、タマネギ、インゲン、ジャガイモ、ニンジン、トマト、ショウガなど。具材はメンマ、トウモロコシ、ワカメ、白キクラゲ、糸トウガラシと色彩豊かで、仏教の五色(ごしき)を表したという。スープを口に運ぶと、豆乳のクリーミーな味が広がった。ピリッと辛みのある台湾の香辛料「馬告(マーガオ)」が、全体をシャープに整えている。あっさりだが、一般のラーメンとは大きく異なる味わいなのは間違いない。

 「3カ月ほど開発を重ね、10月13日にひっそりとオープンしました。良くも悪くも反響がどのくらいあるか分からなかったからです。だから初日のお客さんは1人だけでした」。宝蔵院の盛井幸道住職が説明した。

 そもそも、なぜ寺でラーメンを始めたのか。住職いわく、約350年前に寺を建立した黄檗宗の禅僧・鉄眼道光(てつげん・どうこう、1630−82年)が成し遂げた大事業を将来に引き継ぐための試みという。

 鉄眼は、仏教各宗派の教えを網羅した経典の集大成「一切経(大蔵経)」の版木を日本で初めて作った人物である。奈良・吉野のサクラの木の板に経典の漢字をびっしり彫る気の遠くなる作業で、全国で浄財を募りながら弟子たちとともに足掛け17年で完成させた。当時は人の手で書き写すしかなかった経典の大量複製を可能にし、飛躍的な仏教の普及や民衆の識字率向上にもつながった偉業でもあった。

 鉄眼が手掛けた版木は「鉄眼版一切経版木」と呼ばれ、およそ6万枚を宝蔵院が今も境内の収蔵庫で保管する。国は1957年、全体の8割に当たる4万8275枚を重要文化財(重文)に指定した。この版木の書体やレイアウトは、現代でも広く使われる明朝体と原稿用紙のルーツになったとされる。宝蔵院はその名の通り、宝の山を代々守ってきた寺でもある。

 版木の一部は、ごく最近まで現役で使われていた。職人が墨を塗って1枚ずつ丁寧に刷り上げ、出版社が書籍として刊行していたが、需要減を受けて2022年7月を最後に印刷の役目も終えたという。収蔵庫にある大量の版木は、ひび割れなど経年の傷みやほこりの堆積も目立つ。

 「今は活用から保全への過渡期。この先どうやって版木を残していくか、まずは多くの人に知ってもらうことがスタートだと考えました」。住職を補佐する僧侶の黒木啓宗さんは、こう話した。版木の本格的な調査や保存には資金も必要になる。あまり知られていない鉄眼の功績を周知するために思いついたのが、ラーメンの提供だったという。

 つまり、ラーメンは鉄眼と現代の人々をつなぐ入り口というわけだ。飲食ビジネスに詳しい萬福寺職員OBの協力を受け、そばでもうどんでもない、寺院のイメージとはおよそ離れたラーメンを選んだ。盛井住職は「ラーメンをきっかけに寺を訪れた人に、鉄眼禅師のことを伝えたい」と狙いを語る。

 ラーメンの価格は税込み1杯600円。経費を除く金額は鉄眼の版木保存や顕彰のプロジェクトに使う。ラーメンの味は四季ごとに変わり、春は「薄口しょう油」、夏は「塩」、秋は「濃口しょう油」となる。週3日の昼営業、しかも1日30食限定なので、好みの味にありつくのは決して容易ではない。

 ただ、人々の関心を集めることができればプロジェクトに弾みが付く。「寺ラーメン」を食べ、写真をSNSに投稿するだけではもったいない。その先にある志を知ることが、日本の宝を救う一歩かもしれないから。

(まいどなニュース/京都新聞)