東京電力福島第1原発事故に伴う避難指示が昨春に解除された福島県浪江町津島地区の水田で23日、事故後初めて田植えが行われた。町は稲作を再開できる環境を整えようと、地元農家らでつくる「津島復興組合」と試験栽培に着手した。【尾崎修二】

 「14年ぶりに田植えができて喜ばしい。マイナスからのスタートだけど少しは前進かな」。津島復興組合の菅野雄造さん(66)は、7人ほどの組合員や、町職員、県職員とイネの手植えに汗を流した。震災前は山に囲まれ、青々とした水田が広がっていた場所だが、今回の作付けは約780平方メートルの水田1枚だ。

 震災当時は兼業農家だったが、既に自宅は解体。避難先の福島市に生活基盤が移り帰還の予定もない。「多くの民家や商店が取り壊されてうら寂しい。今後、津島に住んで農業をやる人が現れるのかどうか。(地域の再生は)難しいね」とも口にした。

 浪江町の帰還困難区域に設定された特定復興再生拠点区域(復興拠点)は除染が進み、昨年3月末に避難指示が解除された。だが、帰還する人は少なく、津島地区の復興拠点の居住人口は移住含め10世帯17人。住民登録数の約7%にとどまる。

 営農再開の動きも乏しい。避難指示区域では解除から3年間まで、草刈りなどの保全管理に補助金が支給される。津島では農家ら約50人が復興組合に加入し、実働する10人弱が避難先から通って除染後の田畑約60ヘクタールの保全を続ける。だが、町によると、実際に稲作の再開を計画する組合員はおらず、外部の農業法人などが進出する動きもないという。

 試験栽培は、収穫したコメの放射性セシウム濃度を計測するなどして全て廃棄する。その後の実証栽培は、全量全袋検査で国の基準値(1キロ当たり100ベクレル)を下回れば出荷できる。田植え前にはコメのセシウム吸収を抑制する塩化カリウムも散布しており、秋の収穫後、検査機関で安全性を確認する。

 町農林水産課の金山信一課長は「地元農家の皆さんと出荷再開に向けた栽培や水路の復旧を進めつつ、担い手となりうる外部の農業法人との話し合いも始めていきたい」と話した。