冷蔵庫や洗濯機といった「白物家電」の世界シェアが14年連続1位の中国企業「ハイアール」。1984年、中国・山東省の青島市で冷蔵庫を製造する小さな町工場としてスタートしたが、いまや世界各地に拠点を構え、グループ売上高は7兆円に迫り、10万人が働く巨大企業となった。グループの副総裁であり日本法人の社長を務める杜鏡国さんは、大阪に本社があった大手家電メーカー「三洋電機」をM&Aをする際、唯一の中国人として日本で指揮をとった人物だ。日本に初めて進出した中国家電メーカーとして独自に切り開いてきた日本市場のいまとこれからを杜副総裁に聞いた。

日本駐在24年、妻は中国留学中に出会った日本人

―――日本に来て何年になりますか?
 早いもので24年目になりました。私の妻は日本人で、以前中国留学をしていて、その時に知り合いました。妻の両親が高齢になったので、面倒を見るために家族で日本に引っ越しをしてきたんです。ほんの一時期だけ日本に来てすぐに帰るつもりでしたが、こんなにも長く日本にいることになるとは思ってもいませんでした。

―――来る前と後で日本の印象は変わりましたか?
 中国人はみな共通したイメージだと思いますが、日本は先進国で何もかもが世界一流。No.1だと思います。真面目に働くのは、日本人の国民性ですしね。もうひとつ感じるのは、日本人のチームワークの良さです。これにはとても目を見張ります。そして何より私が驚いたのは、日本の消費者は商品に対する要求のレベルがとても高くて、品質に厳しいことですね。

最新鋭の生産ラインに驚き 「一生、食える仕事だ!」と思い入社決意

―――ハイアールには、どんな動機で入社されたのですか?
 ハイアールには、大学を卒業する前に一度、工場を見学したことがありました。ちょうどハイアールが、ドイツから生産ラインを導入した頃です。その時に見た生産ラインが素晴らしくて感動しました。本当に世界を見渡しても一流の生産ラインだと思いました。いままでに見た生産ラインと全くイメージが違ったのは、いまでも覚えています。私は機械の分野が専門でしたので、こんなにきれいな設備を見たことがありませんでした。とても魅力を感じましたね。この設備について勉強して身につけたら、中国で一流の専門家になれると思ったんです。「一生、食える仕事だ!」、そう思ってハイアールに入ろうと決意しました。ただ、会社に入った時は本当にできたばかりで、従業員も700人ほどしかいませんでした。

日本進出時、中国人は「私ひとり」...開拓を任された重圧

―――日本進出の当初から日本で働くようになったんですよね?
 日本市場に参入した当初は、中国から日本へ来たのは私ひとりでした。全くのひとり。ハイアール本社には、私以外に日本市場に対しての認識があるとか、日本に駐在できる人がいませんでしたし、私はハイアールグループで技術部門・開発部門・生産部門・アフターサービスの仕事・マーケティング・販売会社の仕事を全部ひと通り担当してきた経験がありましたので、恐らく会長が、私が日本市場を担当するのが最善の案と思ったのでしょう。

―――10年ほど前に「旧三洋電機」の白物家電事業を買収しましたね?
 三洋電機のブランドは世界中の消費者に愛されてきましたし、三洋電機の70年の歴史の重みを感じまして、会社のDNAを残すべきと考えたんです。M&Aによってハイアールは、日本市場だけではなくて、東南アジア市場を含め工場・開発・生産の分野を引き継ぎました。当然、三洋電機の従業員にとっては、ハイアールの経営の仕方を理解できない部分、理解できる部分あったと思います。でも張会長が来日した時、自ら日本市場開拓の方針と目標を発表して、「日本でNo.1になろう!」と宣言しました。

「三洋電機」譲渡翌日、一斉に「AQUA」製品を店頭に陳列

―――M&A当初は、どのような苦労がありましたか?
 三洋電機の白物家電事業の譲渡は、2012年1月5日です。そこで私は、ひとつの目標を立てました。それは譲渡翌日の6日に、日本にある家電販売店3000店で33機種の商品全部を新製品で一気に販売しようという目標です。前の日まで三洋電機の商品が並んでいた場所が、すべて「AQUA」ブランドの製品に変わるというわけです。私自身、日本の主な量販店の社長に直接会って営業活動をしました。従業員たちは、私が設定した目標を達成するために頑張ってくれましたし、量販店も協力してくれました。その時に張会長からもらった言葉が、いまも忘れられません。

―――どのような言葉ですか?
 中国の宋時代の有名な詩人が書いた詩です。意味は、「山脈の中、目の前の山を登って制覇しても、また次にもっと高い難しい山が現れる」という詩です。創業精神を忘れずに、再び困難や問題に直面しても、勇気を出して次の目標に挑戦しようということですね。三洋電機とハイアールのプロジェクトを進めるのは簡単なことではありませんでしたが、両社の力を合わせて、消費者により良い製品を提供できるようになったと思っています。

中国では習慣のない「飲み会」でコミュニケーション深める

―――従業員のみなさんと飲み会を何回もしてこられたそうですね?
 私が日本法人の社長になって、従業員たちともっと距離を縮めたいと考えました。でも、なかなか従業員たちとつながる機会を作るのは難しいです。何か壁みたいなものを感じていました。それでどうしようか、と考えて「飲み会」という形を思いつきました。中国では飲み会の文化はありませんが、やってみようと。すると仕事中に従業員たちに声かけてもあまり反応は良くありませんでしたが、飲み会になるとコミュニケーションが深まりました。最近では、従業員たちから「また来てくださいよ、しばらく飲んでいませんよ」と言われます。

―――ハイアールの強みを教えて下さい。
 早めに未来を予測しながら対応できる会社だと感じています。基本の経営手法としては、「人単合一(じんたんごういつ)」という経営理念です。単に自分の仕事を担当するだけではなくて、「自分がCEOだ」というような気概で仕事と向き合うように、と従業員には伝えています。従業員ひとりひとりがCEOとして仕事に向き合い、市場に新しい価値を創出していくという考え方です。私自身、いまでも「先頭に立つために必要なチカラとはなにか?」とよく考えます。これは経営者にとって重要な課題ですが、考えれば考えるほど、「まだまだ足りていない」という気持ちになります。従業員の立場でもそのような心構えが重要です。

―――新型コロナウイルスの影響は、いかがでしたか?
 結果から言えば、ハイアールはこの3年間、利益や売り上げは全部伸びています。新型コロナウイルスによるマイナスの影響はないと言えます。2020年の中国の旧正月の辺りでコロナ禍が始まって、その時はどこの会社も中国での生産や商品の提供ができない状況でした。それから3年間、同じ状況が続く会社が多かったんです。でもハイアールは、1台の欠品もありませんでした。1機種の納品遅れもなかったです。

―――通常通りに生産・営業ができたということですか?
 交通がストップしてしまって、従業員が実家に帰って工場に戻れない状況になりましたが、会社は大量のバスで何百kmと離れた従業員の家まで迎えに行って、会社まで連れて帰りました。会社は、感染防止の条件を厳しく設定して、従業員が新型コロナウイルスに感染したり、感染させたりしないようにして、恐らく中国で一番早く生産ラインを再開したと思います。

夢は日本での白物家電シェアNo.1 達成するまで努力を続けたい

―――杜さんの、社長としての夢は?
 ハイアールグループは、14年連続で白物家電が世界シェアNo.1ですが、日本ではまだNo.1になっていません。ハイアールが日本で白物家電シェアNo.1になる目標は、必ず達成したいです。日本での白物家電シェアNo.1達成に向けて、引き続き頑張ります。目指すのは、真に消費者がハイアールの商品を信頼してくれて、愛着を持ってくれること。その日まで努力を続けたいと思います。達成するには、10年20年と長い年月が必要ですが、目標に向けてしっかりと頑張ります。

―――最後に、杜さんにとってリーダーとは?
 「外柔内剛」という言葉に象徴されます。ハイアールのようなグローバル企業では、文化融合の能力とか、柔軟性を持っている人が必要です。リーダーにとって異文化を吸収することは、とても重要なことです。それこそがグローバル企業のリーダーに必要な素質だと思っています。

■杜鏡国 1963年、中国・山東省青島市に生まれる。1986年に山東工業大学(現・山東大学)機械学部を卒業。同年、ハイアールに入社。マーケティング担当などを経て1998年に来日。2002年、日本法人社長となる。2010年、グループの副総裁を兼務。

■ハイアールグループ 1984年創業。2002年に旧三洋電機と合弁で日本法人「三洋ハイアール」設立。2011年に三洋電機の白物家電事業買収。三洋電機から引き継いだ製品は「AQUA」ブランドとして販売。

※このインタビュー記事は、毎月第2日曜日のあさ5時30分から放送している「ザ・リーダー」をもとに再構成しました。

『ザ・リーダー』は、毎回ひとりのリーダーに焦点をあて、その人間像をインタビューや映像で描きだすドキュメンタリー番組。
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