墜落機ベル212の歴史

 5月19日、「反米保守強硬派」として知られるイランのライシ大統領とアブドラヒアン外相らがヘリコプター墜落事故で死亡したニュースは、パレスチナをめぐるイスラエルとの関係が緊張するなか、世界に大きな衝撃をもって迎えられた。

 墜落した大統領搭乗機ベル212は、その外見から気づく人も多いと思うが、陸上自衛隊も使用しているUH-1型系列に連なる汎用(はんよう)の中型ヘリコプターだ。

 この系列で最新の発展型が双発4枚ローターとなったベル412で、日本でも海保や警察、自治体防災、民間で数多くが使用されており、陸上自衛隊もUH-2として採用している。

 このシリーズ中、ベル212は1968年に初飛行した2枚ローターの双発機である。1998年まで製造が続けられ、日本でも海上保安庁などで使われたが、現在では全機が退役している。イランが使用しているのは、米国との関係が悪化した1978年以前に導入された機体だから、

「約50年」

も前に製造されたものだ。

イランの位置(画像:OpenStreetMap)

古いVIP機の背景

 大統領が搭乗するVIP機にベル212のような古い機種が充てられているのは、いうまでもなく、イランが欧米各国からの

「経済制裁を受けている」

ためだ。正規ルートでは整備用の部品入手も難しいだろうが、現在のイランが持つ技術力なら、機体の維持は可能なのだろう。今回の事故は、経年劣化による故障が原因とは見られないので、古いこと自体は問題ではない。

 これまでの報道によると、事故があったのはイラン北西部、標高2500m以上の山が連なる山岳地帯だ。ヘリコプターにとっては高高度飛行であり、大統領の乗った事故機を含む3機は、山の間を縫うように飛ばなくてはならなかったはずだ。事故当時は霧のため視界が悪かったとされ、非常にリスクの高い飛行である。

 単なる悪天候や夜間飛行であれば、視界に頼らない計器飛行(IFR)という手段もあるが、山岳地帯では地表面を目視して飛ぶ有視界飛行(VFR)に頼らざるを得ず、霧で視界を失えば山に激突する。

 事故発生直後の報道では、大統領の乗ったヘリコプターが山中にハード・ランディングし、同乗者が生存しているということだった。イランのメディアによる続報では、同乗者のうちひとりが事故後1時間程度生存していて、大統領府と電話で連絡をとっていたという。

 これらの情報を総合すると、事故機は単純に山に激突したわけではなく、

「視界不良で飛行継続ができなくなって不時着を試み、着陸に失敗した」

可能性もある。しかし、視界が効かなくなった時点で、山中に安全な不時着場所を探すこと自体が困難だ。墜落した大統領機は、どうしようもなくなった状況で、絶望的な不時着を試みたのではないだろうか。

ライシ大統領の葬儀が行われた墜落現場近くのイラン北西部タブリーズ(画像:OpenStreetMap)

CFIT事故の危険

 こうした山岳地での視界不良による事故は日本でも数多く発生しているが、群馬県の防災ヘリが墜落した事例は、今回の事故に比較的よく似ている。

 2018年8月に起きたこの事故では、登山道調査のため山岳地域を飛行していたベル412型防災ヘリが、視界悪化のため地表を視認できなくなり、山の斜面に衝突した。回収された飛行データや機内映像記録などから、地表を視認できなくなった機長は

「空間識失調(バーティゴ)」

に陥っていたと見られ、引き返しの判断が遅れたことが事故につながったと考えられている。

 山岳地における視界不良では、危険度の高い緊急着陸やバーティゴに至る以前に、山の斜面に激突してしまう事故も発生する。こうした事故を「CFIT(Controlled Flight Into Terrain)」と呼ぶが、日本語にすると、地面に向かっての制御された飛行となる。

「故障など起きていないのに、視界を失ったパイロットが地面に向かって飛んでしまう」

という意味だ。このCFITによる墜落事故は数多く発生しており、筆者(ブースカちゃん、元航空機プロジェクトエンジニア)もヘリコプターと軽飛行機の両方で、知人を失った経験がある。

ドクターヘリ(画像:写真AC)

警報システムの進化

 視界不良によるCFITを防ぐシステムとしては、以前から対地接近警報装置(GPWS)があるが、最近ではさらに進んだ

「地形認識警報システム (TAWS)」

が実用化されている。最新のヘリコプター用TAWSでは、地形や障害物のデータベースと自機の飛行情報などに基づき、障害物や地面までの距離を監視・表示し、地表へ接近した場合はパイロットに警告する機能を持っている。日本では、群馬県防災ヘリ墜落事故の教訓などから、

・防災ヘリ
・ドクターヘリ

など、緊急任務に当たる機体への装備が進められているところである。

 しかし、イランのベル212がTAWSのようなシステムを装備していたとは考えにくい。もしイランが、TAWSを装備した最新型のヘリコプターを導入しているか、旧式のベル212にTAWSを追加装備していれば、今回の事故を防ぐことができた可能性はある。

イランの反米保守強硬派だったライシ大統領(中央)。ロシアのプーチン大統領、トルコのエルドアン大統領とともに。テヘラン、2022年7月(画像:ロシア連邦政府)

危険飛行の謎

 それにしても不可解なのは、大統領と外務大臣という国家VIPを乗せたヘリコプターが、

「なぜ危険な飛行を強行したのか」

という点だ。十分な経験のある機長であれば、十分な気象予測のないまま、あのような山岳地帯を飛行しないだろうし、視界の悪化を認識した時点で引き返すなど、VIP輸送の安全確保に万全を尽くすはずだ。

 それでも飛行を強行したのは、強権的といわれるライシ大統領に忖度(そんたく)し、

「安全確保よりもスケジュールを優先した」

結果ではないだろうか。事故の状況調査が進めば、なんらかの情報が公開される可能性もあるが、機長が無理な飛行を強行した背景については、永遠に推測の範囲を出ないのかもしれない。