弥生後期から古墳時代前期の集落跡が見つかっている鹿児島県鹿屋市の名主原(みょうずばる)遺跡で、直径約20メートルの溝に囲まれた墓とみられる遺構が見つかった。県内の古墳に詳しい鹿児島大学総合研究博物館の橋本達也教授(考古学)は規模や形状から前方後円墳や円墳など畿内から広がった古墳と判断しており「県内最古級の可能性がある」と指摘している。

 発掘調査した県立埋蔵文化財センターによると、遺構は標高30〜40メートルで台地上の最も高い場所にある。幅約3.6メートル、深さ約60センチ、直径約20メートルの溝に囲まれた一部分で、中心には縦2.3メートル、横1.4メートル、深さ55センチの方形の土坑があった。形や土砂の埋まり方から木棺墓があったとみられる。人骨や副葬品は確認されず、墳丘の部分は、後世の耕作でなくなったと考えられるという。

 現地を見た橋本教授は、弥生時代は同規模の墓が群集して見つかるのに対し、大規模で独立して存在する点に着目。「溝で区切った一定の空間を確保し、大きさで権力や地位を示す古墳と考えられる」と解説。大隅半島には古墳時代前期の塚崎古墳群(肝付町)があるが、見つかっている土器の種類から「塚崎に近いか、それより前の段階ではないか」とみる。

 県考古学会の堂込秀人会長は「全国的に権力を象徴する古墳が成立する時期に南九州にも影響を受けた階層的な社会があったということだろう」と話す。

 発掘は県道工事に伴い2022年度に始まり、24年度はさらに約1000平方メートルを調査する。同時に出土品の整理や年代測定などを実施して、検討を進める。