太平洋戦争終盤、鹿児島県徳之島町亀徳沖で米潜水艦から魚雷攻撃を受け約3700人が犠牲になった輸送船「富山丸」の沈没から、29日で80年が経過した。同日、鹿児島県富山丸遺族会の約30人が、鹿児島市の護国神社で犠牲者の冥福を祈った。

 富山丸は1944年6月29日、将兵ら約4000人と燃料などを乗せ亀徳沖を南下中に撃沈された。遺族会が約30年前から、沈没した日に同神社で慰霊式を開いている。

 野元幸一会長(80)は「最愛の肉親を失ったことは痛恨の極み。戦後の悲惨な状況で涙に暮れる間もなく子育てに励んだ母も英霊の元へ旅立った。次の世代に語り継ぐ義務がある」とあいさつ。

 霧島市出身で犠牲になった益山利盛さんのひ孫、会社員男性(28)=福岡市=は「両親と語り合えることを当たり前だと思ってきたが、かなわなかった人が多くいると痛感した。若い世代ほどつないでくれた命に感謝し、平和について考えるべきだと思った」と話した。