末廣(すえひろ)神社(中央区日本橋人形町3)前の道路に「末廣通り」の愛称が付いたことを記念したパレードが5月26日、同通りで開催された。主催は人形町二丁目浪花会、共催 人形町二丁目ニ之部町会。(日本橋経済新聞)

 命名記念で切画奉納も

 宮司の服部全純(まさずみ)さんによると同神社は1596(慶長元年)には鎮座していたという記録が残っているという。江戸時代になり、市内に散在しいていた女郎屋を集約し1617(元和3)年に開設された「旧吉原(葭原)」の鎮守として崇敬を集めた。

 1657(明暦3年)の「明暦の大火」後、葭原が現在の浅草に移転した後も、町のにぎやかさは変わらず、跡地の難波町(現・人形町二丁目浪花会)、住吉町(現・人形町二丁目二之部町会)、高砂町(現・富沢町南部地区)、新和泉町(現・人形町三丁目東部南側)の4町の氏神として、同神社は近隣住民から親しまれてきた。

 新たに命名された「末廣通り」は人形町大通りから浜町緑道までの約300メートル区間。記念パレードでは「稚児行列」「子どもみこし」が行われ、烏帽子(えぼし)や冠(かんむり)、稚児装束を身に着けた子どもたちが通りを練り歩いた。

 浜町緑道近くでハンバーガー店「ブラザーズ」を経営する北浦明雄さんは今回の命名を記念して、神社仏閣をテーマに切画作品を制作する風祭竜ニさんの切画「末廣神社」を奉納した。北浦さんは「神社と人形町の発展を願って奉納した。素晴らしい作品なので、多くの方にご覧いただけたら」と話す。

 宮司の服部さんは「末廣とは扇のことを指しその形からゆく先々が広がり栄える事を意味している。 『末廣通り』の名は、末広がりという言葉があるようにご参拝いただく方、お住まいの方、お勤めの方、旅行者、人形町のお店に来られる方など多く人が輝かしく実り多くあるよう、困難な時にあっても切り開くことができるよう願い付けられた」と話す。