石井裕也が監督、脚本を手掛けたオリジナル作品、映画『愛にイナズマ』(公開中)。映画監督デビューという長年の夢を奪われてしまった花子と不器用な男、正夫が運命的な出会いを果たし、10年以上音信不通だった花子の家族を巻き込んで、理不尽な社会へ反撃するさまが描かれる。

アフターコロナを舞台に家族を描いた本作をどのように受け止めたのか。花子(松岡茉優)と運命的な出会いを果たす正夫役の窪田正孝、花子の家族で口だけがうまい長男の誠一に扮した池松壮亮、真面目で融通がきかない次男、雄二を演じた若葉竜也に、作品に参加しての想いやお互いに受けた印象を語り合ってもらった。

■「石井監督の思いの丈が書き殴られている気がしました」(窪田)

ーー石井監督渾身のオリジナル作品。物語の印象やできあがった映画を観た感想を教えてください。

窪田「エンタテインメント作品ではあるけれど、かなり家族のディープな部分まで描かれている。しかも家族だけでなくいろいろなことに対しての石井監督の思いの丈が書き殴られている気がしました。マスクという仮面のようなものを被っているからこそ出てくる本音、顔を隠せばなんとかなってしまうことや、コロナというものがなんだったんだろうとか。過ぎ去ってしまえばどんどん過去のものになるけれど、その時に石井監督が思っていたこと、沸々としている部分なども含めて、みんなが疑問に思っていたことを映画という枠で書き殴ってくれた印象があります。お芝居という、嘘だけど言っていることに本質があるので、普段言えないこともセリフに乗せて言えるように感じて。観るのも演じるのも気持ちよかったです」

若葉「本当に触ったことのない手触りというか…。ザラザラとした見たことのない形をしたものが生まれたという感覚になりました。『一度でいいか』と思う映画が多いなかで、何度も観たくなるなと個人的に思いました。まさに“ザラザラ”のように、具体的に表現できないところがおもしろいなって」

池松「非常に力強く、文字どおり笑って泣けて、異様なエネルギーとポップさ、形容しようのないエモーションを持った作品になったのではないかと思います。真のアフターコロナはまだ先にあると思いますが、アフターコロナの第一段階、あれだけの破壊と混乱を経て、暗闇から抜け出しこれから生きていく自分たち自身についての映画になったと思います。映画が時代と呼応している、または時代が映画と呼応している。社会を見つめ、他者を見つめ、自分の内を観察し続けてきた石井さんが、このような驚くべきやり方で形にしてくれました。確かにあの時あったこと、いまここにあること、これまで自分たちが生きてきたことを持ち寄って、この作品を共に作り上げたイナズマチームを心から誇りに思っています。その一員であれたことを光栄に思います」

■「窪田さんの持っている空気って宇宙人みたいなんですよね」(若葉)

ーー役者としてお互いに抱いていた印象、演技でぶつかり合って感じたことはありますか?

若葉「ぶつけ合っているというよりは、時間や空間を共有しているという感覚が強くて。誰が目立とうとするわけでもなく、こんなことをやってやろうみたいな作為的なタイプの役者もいない。自然にお互いの役としての空間ができあがっていった感じがあります。僕の場合は、現場では池松さん演じる長男が切り開く道をトボトボとついていっただけです(笑)。窪田さんは現場での佇まいが圧倒的にほかの方とは違いました。窪田さんの持っている空気って宇宙人みたいなんですよね」

窪田・池松「あははは」

若葉「ほかの人では感じたことのない空気感でした。それが、本作の役としてのものなのか、窪田さん本人のものなのかは僕にはわからないままですが、その魅力はとてつもないものでした」

ーー「宇宙人のよう」と言われたことは?

窪田「いや、初めてです…」

ーー若葉さんがイメージする宇宙人がどういうものなのかも気になります。

若葉「なんだろうな。僕の周りにはまったくいないタイプだったので、現場にいた時の窪田さんは、役だったのかご本人だったのか、いまだに疑問ではあります(笑)」

窪田「現場では(松岡)茉優ちゃんと一緒にいることがすごく多くて。花子と正夫は恋人だけど、ソウルメイトのような関係。花子も、それを演じる茉優ちゃんもものすごく芯が強くてエネルギッシュなのに対し、その正反対にいる正夫は実直で、いまの世の中でいちばん生きにくいタイプ。色の違う2人が、どこか魂を共有しているような関係性だったというのもあって、宇宙人?のように見えたのかな。どうだったんだろう…」

若葉「本当の窪田さんがどんな人なのかという興味がすごく湧きました。別の現場で会ったら、なにかわかるかもしれません」

池松「正夫って非常に難役だと思うんです。現実味を疑ってしまうほどの汚れのない優しさと、一方で聖人ではない人間味を持ち合わせています。そのバランスが小さなニュアンスの積み重ねで印象が大きく変わってしまうようなキャラクターでした。窪田さんは正夫のよどみない誠実さ、実直さを見事に演じられていました。窪田さんの持つ聖なるものというか。本当に心がいい人ということをこの役をとおして感じました。窪田さん自身のバランス感と、正夫のバランス感がとても近いところにあったのではないかと思います。バランスを損なうと現実味のない“映画のなかのキャラクター”になってしまう人物を、地に足ついたキャラクターに起こし切っていてすばらしいと思いました。

若葉くんは、まあ本当に愛すべき兄弟で。雄二は冷静で、優しくて。この家族において居なくなった母親の欠落を埋めているようなところがありました。僕自身にも弟や妹がいて、弟や妹という存在にそもそもめっぽう弱いんですが、現場で若葉くんがこの物語に没頭する姿やその目を見ただけで、いちいちグッときていました。関わった役や作品にその身を丸ごと投げるような稀有ですばらしい俳優だと感じました。俳優をやっている、生業にしているというだけではとても到達できない、昔から俳優として呼吸してきたような、そんな匂いを感じました」

■「小さな前進はありますが、変化というよりもまだ地続きにあるという感じがあります」(池松)
ーーコロナ禍ではエンタテインメントの世界や役者という仕事への向き合い方、考え方などを訊かれる場面も多かったと思いますが、本作の舞台はアフターコロナです。コロナ禍を経てアフターコロナに入ってきたいま、みなさんの思いや考え方に変化はありましたか?

若葉「コロナ禍でいろいろな質問をされるなかで、(本作は)立ち返るキーポイントになったけれど、答えは出ないままでした。出していないというのが正しいかもしれません。本当にアフターなのかもわからないし、アフターにしてしまっただけなのかもしれないし。でも、エンタテインメントについて考える一つのきっかけになった気はします。ただ、めちゃめちゃコロナ禍を関連づけて考えたかというと、僕はそうではないかもしれないです」

窪田「コロナという強制的にみんなが立ち止まった時間が生まれた際に、いままで仕事を中心に置いてきた自分にとって、現場の空間にいられることはすごく心地よかったけれど、いまは妻がいることもあり、仕事じゃない空間でどう生きていくのかを考える機会にもなりました。自然に触れたり、仕事以外の人に会ったりする時間が、芝居の世界に戻りたくなる気持ちにさせてくれたり、すごくどこかで繋がっている気がして。だからこそ、仕事とそれ以外への比重の置き方が変わったような気がしています」

池松「小さな前進はありますが、変化というよりもまだ地続きにあるという感じがあります。コロナ禍によってこれまで蓋をしていた問題が表面化して、エンタテインメントに対しても様々な意見が出ました。『ダメだった、もう終わっているよ』と言われたようなものだと思いますが、課題が表面化したこれから、あの時更地だったとしたらこれからどう開拓していけるのか、まだまだその最中だと思いますし、なによりも開拓を続けていくこと、根気よく続けていく先にいずれ変化がやってくると思っています」

ーーお三方の年齢が近いということと、本作で描かれる家族というテーマにちなみ、もし3人兄弟になるとしたら、それぞれどのポジションになると思いますか?

池松「ご兄弟は?」

若葉「僕、三男です!」

窪田「僕も三男」

池松「僕は姉のいる長男です」

窪田「(池松さんが)長男だね、じゃあ」

池松「でもなんか2人ともお兄ちゃんっぽい感じもある。しっかりしているし、場を引っ張っていく力があるし。2人に共通しているのは、誰かの一歩後ろにあえて自分から回ってフォローすることも上手なところ。そうなると次男っぽいのかな2人とも。まあいい加減だけど、年齢順でいいんじゃない(笑)?」

窪田「いまの池松さんの話に説得力があったので、やっぱり長男じゃないかなあ」

若葉「この2人のやりとりを見て、どっちが長男でもいいなと思っている僕は三男なんでしょうね」

窪田・池松「あははは」

若葉「本当にどっちも長男っぽい。役としても今回は池松くんについていこうという思いがあったので。石井組の経験も豊富な池松くんの立ち居振る舞いはずっと見ていました。石井組という場所ではお兄ちゃんだと思っています!」

窪田「僕も同感です!」

取材・文/タナカシノブ