平安時代に実在した呪術師、安倍晴明が陰陽師になる前の知られざる学生(がくしょう)時代を描いた『陰陽師0』(4月19日公開)。3月14日に岩手県奥州市の「江刺体育文化会館ささらホール」で開催された特別試写会のトークセッションに、監督と脚本を務めた佐藤嗣麻子と原作の夢枕獏が登壇し、長年の友人だという2人の出会いや本作の見どころについて語った。

本作の舞台となるのは平安時代。陰陽師は呪いや祟から都を守る役割を果たしていた。陰陽師の省庁であり学校でもある「陰陽寮」の学生、安倍晴明(山崎賢人)は、呪術の天才ながらも陰陽師に興味を示さず、周囲から距離を置かれる存在だった。ある日、貴族の源博雅(染谷将太)から皇族の徽子女王(奈緒)を襲う怪奇現象の解決を依頼される。晴明と博雅は衝突しながらも真相を追うが、ある学生の変死をきっかけに凶悪な陰謀と“呪い”が動き出す。

盛大な拍手でトークセッションはスタート。夢枕は自身の作品が映像化されるたびに、本作のロケ地になった「藤原の郷」を訪れるとのことだが、それとは別に釣りのために年に一度は岩手県に来るそう。“ほぼ岩手県人"であると笑いを誘いつつ、「私の住んでいる小田原は、東京が近いせいか小さい魚しかいないので、いろんな自然が残っていて大きな魚もまだ残っているところが魅力です。それから食べ物がおいしくて、特に暮坪かぶが一番好きです」と、岩手の魅力を語った。

岩手県水沢市(現:奥州市)出身の佐藤監督は、本作の撮影以来約2年ぶりの帰郷とのこと。約20年前には夢枕と共に来たことがあると話し、長年の友人である2人の出会いについて説明する。「19歳の時に東京電機大学の文化祭で獏さんが講演をなさっていて、当時『キマイラ』のファンで獏さんが大好きだった私が、講演後にファンレターを持っていたのが経緯でした」。

これに対し夢枕は「普通ならこれで終わる」と話しつつ、「そのあとにSF関係の集まりで再会をしたり、『獏団』という私のファンクラブにも来るようになって、それ以来の関係です」と説明。佐藤監督は「頻度は忘れちゃったのですが、月一ぐらい顔を出すうちにすごく仲良くなりました」と笑顔で話した。

そんな佐藤監督は、のちに夢枕が「陰陽師」を執筆した際に、源博雅を武士ではないことを指摘するため、国立国会図書館で資料を集めて送ったとのこと。夢枕は「エロスとバイオレンスの伝奇小説をずっと書いていて、そのあとに『陰陽師』だったので、『ちょっと博雅に刀持たせたいな』という下心で余計なことをしてしまった」と、当時の心境を明かした。

そして「厳密に博雅は武士の位のようなものはもらっているので、間違いではない」と付け加えつつも、夢枕自身も武士にしないほうがよかったと思っていたそう。「『陰陽師』の最新刊のあとがきに、『みなさんどうもすみません。バイオレンスとエロスで行った勢いで、博雅を武士という設定にしましたが取り消します』ということをちゃんと書きまして、ケリを付けました」と話し、会場は笑いに包まれていた。

2人の出会いから交流が生まれ、数十年を経て『陰陽師0』へと繋がっているが、映画化についてはかなり前から話していたという。晴明と博雅の出会いを描いた作品にした理由を佐藤監督は、「獏さんの小説の晴明たちは40代ぐらいの設定ですが、本作では晴明が27歳で博雅が30歳です。もともと自分が2人の出会いを観てみたいこともありましたが、40代の晴明は獏さんがいろんなところに種を巻いたので、(映像作品として)もう刈尽くされたように感じていました。だから、ちょっと目線を新しくして若い2人にしたかったんです」と解説した。

本作の見どころの一つとして、晴明と博雅の掛け合いが挙げられる。佐藤監督は、晴明を演じた山崎と博雅を演じた染谷に、役をつかむ演技指導として役を入れ替えてリハーサルをしたことを明かすと、夢枕も「そんなことやってたの」と驚いた様子。佐藤監督は、「リハーサルをやったうえで、最終的にはいまのキャスティングでよかったと思っている」と付け加え、山崎と染谷の演技を称えていた。

完成した本作を佐藤監督と共に鑑賞したという夢枕。「横に映像化した監督がいて、『つまらない映画だったらどうしよう』というプレッシャーがあるんですよ。トイレ行くふりして逃げようかなと思っていました(笑)」と冗談を交えつつ、バランスに優れた映画であったと本作の感想を述べる。「マンガでも映像でも小説でも、呪術のできることとできないことのが歯止めが効かなくなっているなか、きちんとルールがありつつ派手な場面も作って、すごいバランスでいろんなものが散りばめられていました。青春映画としてもよくできていて、ここまではやると思っていたところの、もう一つ上のステージにありましたね」と絶賛。佐藤監督が、「映画が終わったあとに、獏さんが目をそらさなかったので安心しました」と話し、夢枕は「どうやら僕は嘘をつく時に目が泳ぐからわかるらしいです(笑)」と、2人の関係が垣間見えるトークが繰り広げられた。

そんな夢枕が佐藤監督に要望を出したのは、「呪文は口から出すことと、雲中菩薩を出してほしいこと」の1度だけだと明かす。「映画という大きな船に、『みんなで乗ってみんなで行こう』と思っているなかで、原作者が『俺は知らないよ』というのは反則。だから乗組員ではあるけれど口出しはしないと決めている。押し付けになるけど、(佐藤監督は)やりやすかったのでは?」と話すと、佐藤監督は「ありがとうございます」と感謝の気持ちを述べていた。

トークセッションの終盤には、観客からの質問が寄せられた。夢枕の大ファンという男性からは、本作が「非常に納得がいって、おもしろかったです」と感想を述べつつ、夢枕の代表作の一つ「東天の獅子」の続編を読みたいと熱弁。夢枕は、「講道館柔道の歴史を書くのがおもしろくて、第1巻で出なきゃいけない主人公が、やっと4巻目で出てきて、そこで終わってしまったんです。前田光世が世界中を修行して回って、(ジョージ・)ハッケンシュミットとか当時強いと呼ばれていた男たちをみんなぶっ潰していく話を、必ず書きます」と、メッセージを送っていた。

また、「陰陽師」のファンで日本音楽をやっているという女性からは、「博雅が楽器を弾く時の描写がとても綺麗でした。監督や先生には音楽を聴いた時にどんなふうに見えているのか」と質問。佐藤監督は難しい質問だとしつつ、「今回、徽子(女王)が弾いている琴は、日本独特との和琴(わごん)で神に捧げる音であったので、地位の高い人にしか弾けない神聖なものでした。和琴の総音のすべてを本作では使っていて、一音一音に神が出ているような感じを画にも表現しています。博雅も、生まれた時に音楽が鳴って虹色に雲が出たぐらいの音楽の天才で、ある意味モーツァルトのような人です。彼の音は神が宿っている音なんだろうと思って表現しています」と、音楽の演出について解説をしていた。

最後に佐藤監督は、「水沢には映画館がなくなってしまって、遠くにいかなければならない状況ですが、できれば音がいい映画館で、大きなスクリーンと7.1chの音響で、もう一回ご覧になっていただけるとうれしいです。もし気に入っていただけたら、友人を誘って観に行ってほしい」と、劇場で見る本作のよさをアピール。夢枕は、「よくマンガや小説が実写映画化されると、『これはちょっと違う』と思う人がいますが、映像と小説は表現形式が違うから当たり前なんです。それを踏まえても、本作は私の小説のファンが観ても安心できるものとなっています。もし知り合いに『陰陽師』の小説を読んでいる人がいたら、安心して観に行ってとお伝えください」と語り、イベントを締めくくった。

取材・文/編集部

※山崎賢人の「崎」は「たつさき」が正式表記