『ペンギン・ハイウェイ』(18)、『泣きたい私は猫をかぶる』(20)、そして『雨を告げる漂流団地』(22)。スタジオコロリドが手掛ける作品の代名詞は、どこか懐かしい日常の風景のなかに突然織り交ぜられる非日常を、瑞々しくも優しいタッチで描きだすということ。最新作『好きでも嫌いなあまのじゃく』(5月24日より劇場公開&Netflixにて配信)でも、“嫌われることを恐れる”少年と天真爛漫な鬼の少女のボーイミーツガールとひと夏の冒険譚が、良質な青春ファンタジーとして冴え渡っている。そしてそんな本作をより魅力的で忘れ難いものにしているのが、「ずっと真夜中でいいのに。」が手掛けた主題歌&挿入歌だ。

高校1年生の八ツ瀬柊(声:小野賢章)はみんなに嫌われたくないという思いから頼まれごとを断れない性格の持ち主。ある日、ツムギ(声:富田美憂)という不思議な少女と出会った柊は、泊まるあてがないという彼女を家へと連れて帰る。そんな折、父親との口論で“本当の気持ち”を隠してしまう柊の前に、お面をつけた謎の化け物が出現。ツムギと共に部屋を飛びだすと、彼女の頭にはツノが。実は彼女の正体は鬼であり、生き別れになった母親を探しているというのだ。そして柊は、またしても頼まれごとを断りきれず、ツムギの母親探しを手伝うことになる。

■スタジオコロリドדずとまよ”が2作連続でタッグ!

YouTubeチャンネルの登録者数253万人、楽曲の総再生回数は20億回(※どちらも5月18日現在)を超える“ずとまよ”こと「ずっと真夜中でいいのに。」は、作詞・作曲・ボーカルのACAねによる、特定の形をもたない音楽バンド。ちょっぴりと不穏さも携えた熱量たっぷりの世界観と、異彩な演出を駆使した類稀なる音楽性は、Z世代はもとより多くの世代から熱烈な支持を集めており、これまでも『約束のネバーランド』(20)の主題歌「正しくなれない」やテレビアニメ「チェンソーマン」のEDテーマ「残機」など、様々な作品の主題歌やテーマソングを務めてきた。

そんな“ずとまよ”がスタジオコロリドの作品に携わるのは、『雨を告げる漂流団地』に続いて2作連続。同作では主題歌「消えてしまいそうです」と挿入歌「夏枯れ」を担当し、登場人物である少年たちのひと夏の好奇心や友情の芽生え、幼いながらに抱く生まれ育った場所や夏という季節へのノスタルジイが的確に表現されていた。そして今作でもまた、主題歌「嘘じゃない」と挿入歌「Blues in the Closet」の2曲で、柊とツムギの心情に深く寄り添いながら作品世界に彩りを添えていく。

新進気鋭のアニメスタジオであるスタジオコロリドから全幅の信頼を寄せられている“ずとまよ”の楽曲の魅力といえば、あらゆる音楽ジャンルを網羅し、それを一つの楽曲のなかへ集約させるという、このうえなく広く発展性に満ちた世界観であろう。近年の若者向けミュージックによく見られる、ボカロ系サウンドを想起させるリズムを軸足にしながらも、そこに1990年代のポップミュージックのようなレトロで噛み応えのある哀愁感、さらにそれ以前の時代の歌謡曲から海外のメジャー/マイナーを問わない楽曲の要素までもが器用巧みに盛り込まれていき、そこから紛うことなき現代の、そして“ずとまよ”独自のサウンドを形作っている。

またソリッドで強烈で、物語性やテーマ性を押し出した歌詞をぎゅうぎゅうに詰め込んで膨大な情報量を流し込むように“聴かせる”のではなく、一つ一つ丁寧に紡ぎだされたリリックをもって、その単語と単語の行間にひそむドラマ性を“想像させる”楽曲であることも、一度聴いたら耳を離れない理由だ。本当の意味で高密度の楽曲世界を前にすれば、聴く者は自ずと能動的に享受したくなることだろう。同時に、リリックとメロディーだけでなく、満遍なく包みこむサウンドの隅から隅まで耳を凝らさずにはいられない。

■挿入歌が流れるシーンは映画の重要なターニングポイントに

それだけに、本作のような映画作品などの主題歌になった時には作品の本編と楽曲の双方で互いの行間を補い合うようにして、一つの作品世界を強化していくという親和性を発揮する。まさに主題歌をもって一本の作品が完成する、理想的なかたちが成立することとなる。本作でメガホンをとった柴山智隆監督も「届けられた楽曲は本編に寄り添いつつもそれに留まらず、より広く遠くへ本作を必要としてくださる皆様へと繋いでくれる」と賛辞を送るほど、“ずとまよ”との相性は抜群のようだ。

映画公開に先駆けて製作のツインエンジンの公式YouTubeチャンネルにアップされたのは、主題歌「嘘じゃない」の1番までの音源と歌詞が、本編映像と共に切り取られたスペシャルコラボPVだ。本編を観る前にこの映像を観ただけでも、いかにこの楽曲が作品の世界観とマッチしているかがわかるだろう。限りなく青春ドラマらしい疾走感をにじませるリズミカルなメロディーに、奥へ奥へと引き込んでいくようなACAねの力強くも情緒たっぷりな歌声。

本作のテーマでもある“隠した想い”と“本当の気持ち”というキーワードが反映されたリリックと、サビの部分に見受けられる「“ ”」という空白の表現。タイトルにもなっている「嘘じゃない」のフレーズが繰り返された後に待ち受ける、サビの後半の畳み掛けるような転調。そしてそれが抜けた後にかすかに残る穏やかな余韻。エンドロールでこの楽曲を浴びながら、それまで観てきた物語を反芻していけば、自然と心のなかにじわりと込み上げてくるものがあり、またもう一度最初から作品を観直したくなることだろう。そして2度目以降の鑑賞時には、序盤から幾度となく「嘘じゃない」が脳裏によぎる瞬間が訪れるはずだ。

ちなみに「嘘じゃない」のMVは、まさに柴山監督の“遠くへ”という言葉を体現するかのように宇宙を舞台にした壮大なアニメーションに仕上がっている。ずとまよのMVといえば、気鋭のクリエイターとのコラボが注目ポイントの一つとなっているが、今回のMVはアー写でもおなじみの「お勉強しといてよ」や「暗く黒く」も手掛けたイラストレーター/アニメーターのはなぶしが担当。『エイリアン』(79)のような雰囲気に『遊星からの物体X』(82)や『ゼロ・グラビティ』(13)を彷彿とさせる展開で映画ファンも必見。このMVでも独立した新たな世界が生み出されており、一曲で二度も三度もおいしい。

一方で挿入歌「Blues in the Closet」は、映画中盤で柊とツムギが旅の途中に立ち寄る旅館「宝寿の湯」の人々のあたたかさに触れた後、ツムギの母親を探すという目的のために出発するシーンで印象的に流れる。ここで2人は物語の舞台となる山形県の花でもあるベニバナが咲いた広大な花畑のなかを駆け抜けていく。ベニバナには「特別な人」や「包容力」といった花言葉がある。出発直前に寂しさを口にした柊に対し、旅館の女将は「そんなことじゃツムギちゃんを守ってあげられないわよ」と言葉をかけ、柊は頬を赤らめる。物語のキーポイントである柊とツムギの関係性の大きな変化の瞬間を示す重要なシーンでもまた、“ずとまよ”の楽曲が効果的に使われているといえよう。

2曲の“ずとまよ”楽曲によって彩られた『好きでも嫌いなあまのじゃく』は、Netflixでの配信と同時に全国の劇場でも公開される。普段はイヤホンで聴いている音楽を、映画館のハイクオリティな音響空間のなかで全身をもって体感するというのも、映画主題歌を聴く楽しみだ。まずは劇場のスクリーンでスタジオコロリドの技術力によって生みだされた躍動感のある映像と“ずとまよ”の音楽のマリアージュを堪能し、それからNetflixで何度も繰り返し味わい尽くす。きっとこれまで経験したことのない格別の映画体験となることだろう。

文/久保田 和馬