黒沢清監督は『ドライブ・マイ・カー』(21)の濱口竜介らの師として多大な影響を及ぼし、その作品は世界的に高い評価を受けている。監督作としては、代表作『CURE』(97)をはじめ、Jホラーの傑作『回路』(01)、そして濱口が脚本を手掛けた『スパイの妻』(20)では第77回ヴェネツィア国際映画祭コンペティション部門銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞している。

そんな黒沢の最新作『蛇の道』(6月14日公開)は、1998年に発表された同名作品をフランスでセルフリメイクした作品である。もともとオリジナル版は短期間の劇場公開を経てビデオでのリリースとなっていたため、厳密には劇場公開映画ではあるものの、主演が哀川翔という“Vシネの帝王”とのタッグであったことから、「オリジナルビデオ」(いわゆるVシネ)として語られることが多い。

配信やソフト化が進んだことで、最近になって比較的観やすい環境も整ってきたものの、長らく観づらい状態が続いていたこともあり、本作はなかば「幻の名作」となっていた。今回は、カルト的な人気を誇る一作、オリジナル版『蛇の道』の魅力について紹介したい。

■名作『CURE』『リング』のタッグが仕掛けた『蛇の道』

本作の脚本は「リング」シリーズの脚本家、高橋洋が手掛けている。黒沢と高橋は、1997年にオリジナルビデオ作品『復讐 運命の訪問者』(97)で初めてタッグを組んだ。また、同じ97年には先述した黒沢監督の代表作『CURE』が、翌98年には『リング』が公開されている。

そして、『リング』と同じ98年に発表されたのが『蛇の道』『蜘蛛の瞳』(98)の2部作である。2人がそれぞれに伝説的名作を立て続けに発表したこの時期に、監督・黒沢清×脚本・高橋洋が作り上げた映画。これだけで、本作が尋常ではない映画であることが予感される。そして実際、『蛇の道』はこうした布陣の実力が遺憾なく発揮された名作なのである。

■85分という短い尺に凝縮された、演出、脚本の妙

内容自体は極めてシンプル。簡単にいえば「哀川翔主演の復讐もの」だ。しかし、内容はそれだけに収まらない、かなり異様なものとなっている。香川照之演じる、娘を残虐な手口で殺された父親、宮下。なぜか彼に協力する謎の塾講師、新島を哀川が演じている。2人は娘の死に関与していると思われる組織の幹部を拉致し、どこかの工場で監禁する。

宮下は非道な犯罪に巻き込まれた被害者家族であるにもかかわらず、なぜか一連の「復讐」を行う過程で高揚している。絶望している表情でもあり、怒りもぶちまけるが、どこか楽しそうなのである。まるで、自身の暴力性の正当な発露の動機として「復讐」という理由に固執するかのように。

対する新島は淡々と指示を出し、あたかも日常のルーティンかのように、職場の(謎の数式が世界の法則そのもののような奇妙な授業が行われる)塾で仕事をし、翌朝も監禁場所にやってくる。黒沢監督は「優しいお父さんと残虐な犯罪者というのは矛盾しない」という人間観を『CURE』のインタビュー等で示している。新島はそんな人間観を反映したような、一見すると平凡な塾講師のようでありながら、動機不明の復讐の遂行者として不気味に描かれる。

どこか信頼できない復讐者。謎の多い協力者。そして、二転三転する監禁された組織の男の証言。さらに次々に拉致される組織の幹部たち。食い違う証言の数々。このように、高橋の脚本は80分ほどの短い上映時間に、無駄のないストーリーテリングでまったく余談を許さない殺伐とした、空恐ろしい人間の狂気を描き出す。

そして、黒沢は、低予算かつ短期間のオリジナルビデオの制約を逆手に取り、『CURE』でもみられる特徴的な長回しとロングショットを多用した緊張感のある乾いた画面の連続でそれを演出してみせた。

■「原理」の概念で構築された唯一無二の世界観

ストーリーはシンプルな構造ではあるものの、演出や編集には一筋縄ではいかない要素が数多くみられるのも特徴だ。たとえば、塾に通う小学生の少女は新島を慕っており、2人で謎の数式を公園の地面に書き続けている、というシーンがある。明らかにほかのシーンとは異なるトーンで、まるで「幻」あるいは「あの世」のようにも見える撮り方になっており、このシーンがあることで、まるですべての出来事が最初から運命づけられていたかのような感覚に陥る。本作において、復讐は「結果」ではなくて「始まり」なのである。

高橋はこれを「復讐という原理」と表現している。だから『蛇の道』の世界で描かれるのは、いわばコントロール不能な原理によって否応なく動く人々のもがきなのである。

また、黒沢監督が手掛けた『カリスマ』(99)では「世界の法則を回復する」というキーワードが提示されていた。これもやはり、人間の外にゴロンと存在する世界=原理という概念を感じさせる。「やられたからやり返す」ような個人的な動機を超えた、「映画の原理」や「復讐の原理」の中で蹂躙される人々。20世紀末、黒沢と高橋の2人はそのような世界観を示していた。

■リメイクされるいまだからこそ、オリジナル版に立ち返る

さらに、クライマックスにおける一連における「ブラウン管テレビ」の扱い方や、そこで映し出される「観てはいけない映像」の質感も凄まじい。ここでは明らかに『リング』の延長ともいえるような表現が試みられている。観たら自分は狂ってしまうだろう、でも目を離すことができない。ザラついた画面に映し出される「地獄」のような映像。そしてそれを観てしまった人間のリアクションがはっきりと映し出される。怖すぎる!

だから、これは「哀川翔主演の復讐もののオリジナルビデオ作品」といった表現ではまったく収まっていないのである。あえてジャンルわけするなら「復讐ホラー」である。しかも、単に「人間が怖い」みたいなものではなく、しっかりと体の芯まで冷えるような、それこそ『リング』や『回路』で感じるような怖さが刻まれているのである。

そして、異形の名作『蛇の道』が、今回のリメイクで果たしてどのように生まれ変わるのか?低予算、短期間の制約も(おそらく)ない、哀川主演でもない、国も言語も違う。いったいなにが生み出されたのだろうか。リメイク版の公開を前に、本日5月24日20時からYouTubeチャンネル「角川シネマコレクション」にて1998年版の『蛇の道』がプレミア公開され、5月31日(金)19時59分までの2週間、アーカイブでの視聴が可能となっている。異国の地で変奏される新たな恐るべき復讐劇を見届ける前に、オリジナル版の視聴をオススメしたい。

文/近藤亮太