第77回カンヌ映画祭が12日間の会期を終えて終幕した。最高賞パルムドールに選ばれたのは、アメリカの映画作家ショーン・ベイカーの『Anora』。ベイカー監督の過去作は、『フロリダ・プロジェクト』(17)が並行部門の監督週間に、『レッド・ロケット』(21)がコンペティション部門に出品されていて、カンヌが育てた才能が最高賞を受賞する映画祭らしい結果になった。
■パルムドール受賞の『Anora』ほか“女性の生き方”を見せる作品が多数
『Anora』の北米配給会社は気鋭のブティック・スタジオ、NEON。2019年の『パラサイト 半地下の家族』から『TITANE/チタン』(21)、『逆転のトライアングル』(22)、『落下の解剖学』(23)と、5回連続でパルムドール受賞作品を北米配給しており、筋の通った作品選びにも注目が集まっている。次点のグランプリには、インド映画として30年ぶり、女性監督の作品として初のコンペ入りした『All We Imagine as Light』(パヤル・カバディア監督)が受賞。カバディア監督のドキュメンタリー作品『A Night of Knowing Nothing』は2021年の監督週間に出品、ゴールデン・アイ賞(ドキュメンタリー賞)を受賞している。
また、女優賞はジャック・オディアール監督によるミュージカル『Emilia Perez』に主演した女優4名(カルラ・ソフィア・ガスコン、セレーナ・ゴメス、ゾーイ・サルダナ、アドリアナ・パス)に授けられた。『Emilia Perez』は審査員賞も受賞している。また、特別賞はイラン映画『The Seed of the Sacred Fig』が受賞。モハマド・ラスロフ監督は国家安全保障に反する共謀罪に問われ、禁錮8年とむち打ちなどの判決を受けイランから極秘出国し、カンヌ入りしていた。
今年のコンペティション部門の審査員長をグレタ・ガーウィグが務めたこともその一端だったのか、映画を通して様々な女性の生き方を見せる作品が集められていた。脚本賞を受賞したデミ・ムーア主演のボディ・ホラー作品『The Substance』(コラリー・ファルジャ監督)やデンマークのマグナス・フォン・ホーン監督の『The Girl with the Needle』は女性の身体性と数奇な運命を描き、『Emilia Perez』『All We Imagine as Light』、そしてパルムドールの『Anora』の主人公アニ(スターへの道が約束されたマイキー・マディソン)、アウト・オブ・コンペティション部門でワールドプレミアが行われた『マッドマックス:フュリオサ』など、自らの進む道を選び取る女性たちの姿が映されている。
一貫してセックスワーカーの物語を描き続けるショーン・ベイカー監督は、「人類最古の職業であるセックスワーカーの不公平な汚名を払拭し、彼女たちの物語に寄り添ってもらいたい」と語っていた。監督週間に出品され、国際映画批評家連盟賞を受賞した『ナミビアの砂漠』の山中遥子監督は、「(主演の)河合優実さんの躍動する身体性を撮りたかった」と上映後のQ&Aで述べている。映画祭がこういったテーマ性を掲げるのは偶然ではなく、コンペティションに選出された映画の傾向、そして審査員団の顔ぶれからも、カンヌ映画祭が世界に問いかけるものが明確になっていた。
■日本作品は3本出品。昨年男優賞を受賞した役所広司の姿も
今年のカンヌ映画祭には、いたるところに日本との関連が見られた。コンペティション部門の審査員に是枝裕和監督が参加し、映画祭のポスターには黒澤明監督の『8月の狂詩曲』(91)のワンシーンが使われ、監督週間のポスターは北野武監督によるイラストが用いられていた。授賞式には昨年『PERFECT DAYS』(ヴィム・ヴェンダース監督)で男優賞を受賞した役所広司が駆けつけた。スタジオ・ジブリが名誉パルムドール賞を受賞し、満員のルミエール劇場で授賞式と、三鷹の森ジブリ美術館の外で初公開となる3編を含む4本の短編映画が上映された。ある視点部門に奥山大史志監督の『ぼくのお日さま』、監督週間に山中遥子監督の『ナミビアの砂漠』と久野遥子、 山下敦弘監督の『化け猫あんずちゃん』が選ばれ、日本の次世代監督たちが活躍する時代の到来を感じさせた。日本の映画産業と映画業界の問題点を打破するために立ち上がった人たちによるイベントもいくつか行われていた。
5月14日に開幕したカンヌ映画祭は、フランスにおける#Me Too問題やガザ紛争、映画祭スタッフの労働環境をめぐるストライキなどの政治的問題を多数はらんでいた。映画祭芸術監督のティエリー・フレモーの記者会見でもそれらについての質問が多発し、選出映画についてのみ答えると釘を刺しながら、「極論のない映画祭を目指す。カンヌにおいて、政治はスクリーンの中のみに止めるべきだ」と発言した。だが、カンヌで最も華やかで注目を集めるレッドカーペットでは、ケイト・ブランシェットがトランプ元大統領の若かりし頃を描いた映画『Apprentice』(アリ・アッバシ監督)のプレミアでパレスチナの国旗を彷彿させるドレスを着用、『All We Imagine as Light』の俳優はスイカのクラッチバッグを手にし、暗黙のファッション・ステートメントを提示していた。
ある視点部門の審査委員長を務めたグザヴィエ・ドランは、閉会式でラップトップコンピュータを手に、「今年、多くの映画作家たちは、社会的不正義や良識から目を背けずに、時には危険が伴うような勇気ある映画を作りました。この機会に、自分が中東のきょうだいたちへの連帯を表明しないのは不徳の致すところだと感じます。日々恐怖の中にいる人々が経験していることに比べると取るに足らない言葉ですが、それでも、多くの人々と同様に人質の解放と停戦を願うとここで述べることの大切さを痛感しています」と力強いスピーチを行った。国連難民高等弁務官事務所の親善大使を務めるケイト・ブランシェット、シンシア・エリヴォ、『FLEE フリー』(21)のヨナス・ポヘール・ラスムセン監督、そして昨年『PERFECT DAYS』をコンペ部門に出品していたプロデューサーの柳井康治氏が参加し、世界中で困難に瀕している難民たちの声を取り上げる映画作りの重要性を説くパネル・ディスカッションが行われた。6回前の第71回カンヌ映画祭で審査委員長を務めたブランシェットは、「可視化されない人々(Invisible People)を描いた」と是枝裕和監督の『万引き家族』(18)にパルムドールを授与したが、このパネルでも世界から見過ごされている人々の物語を伝える必要性を熱弁した。政治活動と芸術は切り離して考えるべきという主催側の意見がある一方、世界を取り巻く問題を考えることと映画制作を含むクリエイティブ活動は地続きのものであり、分けて考えることなどできないというアーティスト側の主張が妨げられることはなかった。
授賞式後の会見で審査員の一人であるリリー・グラッドストーンは、審査員間で異なる見解を共有することで、「同意することも同意しないこともあったが、異なる視座から学ぶことが多かった。それによって、より良い映画鑑賞者、そしてアーティストになれる気がする」と語った。『存在のない子供たち』(18)などで知られるレバノンの映画監督ナディーン・ラバキーも、9名の審査員が2週間毎日一緒に映画を観て対話するなかで、「意見を変えることができる美しさ」を学んだと言う。審査員団記者会見の最後に、フランスの俳優オマール・シーの呼びかけで審査員たちは後ろを向き、彼らの背後に掲げてある映画祭ポスターにオマージュを捧げた。ポスターが発表された際、カンヌ映画祭は黒澤明監督の遺作『8月の狂詩曲』のワンシーンを映画館でスクリーンに向かう人々の姿に見立て、すべての物事に調和を求め、団結することの大切さを訴えた。「映画はすべての人に声を与え、解放を可能にする。傷を記憶し、忘却と闘う。危機に立ち合い、団結を呼びかける。心の傷を癒やし、生の修復を助ける。絶えず他者性が問われる不安定な世界において、カンヌ映画祭は、映画とは表現と共有のための普遍的な聖域であるという信念を改めて示す」というステートメントと共に。その姿がとても美しく、分断や紛争で殺伐とした世の中に映画祭が提示したものを感じることができた。
文/平井伊都子
●コンペティション部門受賞結果
パルム・ドール:『Anora』ショーン・ベイカー監督
グランプリ:『All We Imagine as Light』パヤル・カパディア監督
審査員賞:『Emilia Pérez』ジャック・オディアール監督
監督賞:『Grand Tour』ミゲル・ゴメス監督
特別賞:『The Seed of the Sacred Fig』モハマド・ラスロフ監督
女優賞:カルラ・ソフィア・ガスコン、セレーナ・ゴメス、ゾーイ・サルダナ、アドリアナ・パス『Emilia Pérez』(ジャック・オディアール監督)
男優賞:ジェシー・プレモンス『憐れみの3章』(ヨルゴス・ランティモス監督)
脚本賞:『The Substance』コラリー・ファルジャ監督
“意見を変えることができる美しさ“を内包する、カンヌ国際映画祭が示したもの。第77回カンヌ国際映画祭の総評
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