いまから60年前の1961年4月12日、人類初の宇宙飛行に挑んだユーリィ・ガガーリンの伝説を振り返る連載。第3回では、ガガーリンが宇宙に飛び立つ最初の1人に選ばれた背景と、飛行前日の様子について取り上げる。

ガガーリン、初の宇宙飛行への選出

彼らのうち、誰が最初に宇宙に行くのかは、つねに議論の的だったが、誰もがおおよその見当は付いていたとされる。

まず、ガガーリンとチトーフは、体力や学力などの面で優れていたのにくわえ、ソチ・シックスの中でもとくに小柄で(ガガーリンの身長は158cmだった)、小さなヴォストークのコックピットにとって最適だった。

また、最初に20人の宇宙飛行士候補が選抜された際、彼らと面会し一人ひとりの話を聞いて回ったコロリョーフは、とくにガガーリンとは長い時間、親しげに話をしていたという。ガガーリンの人当たりのいい性格や、コロリョーフもガガーリンと同じく職業学校の出身であったことが影響したとされる。

その後も、コロリョーフがガガーリンを贔屓にしている場面がたびたび見られ、周囲にいる者ならガガーリンが選ばれるであろうことは薄々勘づいていたらしい。

そして、宇宙飛行士の同僚たちもまた、「ガガーリンなら適任だ」と考えていた。事実、「自分以外で最初に宇宙に行くとすれば誰が適任だと思うか」という無記名のアンケートを取ったところ、ほぼ全員がガガーリンを推したという。

最初の20人の宇宙飛行士グループのひとりだったエヴゲーニィ・フルノーフはのちに、「ガガーリンは非常に集中力があり、自分にも他人にも厳しい人物だった」と、尊敬の念を述べている。

ガガーリンが最初に宇宙へ飛び立つこと、そしてチトーフをバックアップとすることは、コロリョーフら上層部の間では同年1月にはすでに決まっており、3月9日には政府も承認したことが記録に残っている。しかし、その決定が本人たちに正式に伝えられたのは、4月10日のことだった。

その決定を伝えた空軍の有人宇宙計画の最高責任者ニコラーイ・カマーニンは、この日の日記の中で「1月の決定はすでに彼らにも漏れ伝わっていたようだが、それでも決定について正式に伝えた際、ガガーリンは喜び、そしてチトーフは落ち込んでいた」と記している。

4月10日の11時、6人の宇宙飛行士と計画の主要メンバーが、チュラタームの近くを流れるシルダリヤー川のほとりに集まり、会合を開いた。

この席でコロリョーフは次のような演説をした。

「ソヴィエトが最初の衛星を打ち上げてからわずか4年足らずで、我々は宇宙に人間を送り込む準備ができました。ここにいる6人の宇宙飛行士たちは皆、最初に宇宙へ飛び立つのに相応しい資質を持っています。今回選ばれたのはガガーリンですが、他の者もすぐあとに続くでしょう。今年中に10機のヴォストークが生産され、そして将来的には、2〜3人乗りの新たな宇宙船に取って代わることでしょう。

いま、皆さんが集まっているこの場所は、私たちの仕事の完成を意味しません。むしろ始まりなのです。

私はこの打ち上げが安全に終わることを確信しています。そして、ユーリィ・アレクセーエヴィチの飛行の成功を願っています」。

その夜開催された会議において、打ち上げの準備作業が順調に進んでいることを受け、ガガーリンの飛行ミッションを承認。そして、打ち上げを12日に行うことが決定された。

飛行前夜

4月11日早朝。ロケットと宇宙船は、打ち上げ前の最後の試験をクリアした。

5時40分(現地時間)、ヴォストークを搭載したロケットが、組立棟から列車に載せられ出発。ゆっくりと移動したのち、発射施設に到着。そして1957年にスプートニクを打ち上げたのと同じ発射台に設置された。朝早かったこともあり、この一連の作業にはガガーリンは立ち会わなかった。

ガガーリンらはいつもどおりに起床し、カマーニンとペアになり、チトーフ、ネリューボフとバドミントンに興じた。ガガーリンはスポーツの愛好者だった。ソチ・シックスのひとり、ヴァレーリィ・ブィコーフスキィはのちに、「私たち宇宙飛行士は皆、空軍に所属していたときからスポーツに取り組んでいました。ガガーリンはとくにアイスホッケーが好きだったことを覚えています。彼はゴールキーパーをするのが好きでした」と振り返っている。

ガガーリンとチトーフは昼食に、歯磨き粉のようなチューブに入った宇宙食のミートピューレ2つと、チョコレートソース1つを食した。

13時には、宇宙飛行士と打ち上げチームが会議を開催。ガガーリンは「すべての力と知識をもって、この歴史的な飛行を成し遂げます」とコメントした。

夕食後、ガガーリンとチトーフはコテージに引き上げ、休むことになった。夜、コロリョーフが彼らを訪ね、軽く談笑し、『砂漠の白い太陽』という映画を鑑賞した。

21時30分、コロリョーフは彼らに「おやすみ」と言って引き上げ、打ち上げの準備に戻った。医療スタッフはガガーリンらの体にセンサーを付け、彼らはベッドに入った。その夜、彼らはよく眠っていたという。

そして、1961年4月12日がやってきた。

○参考文献

・https://www.roscosmos.ru/29977/
・Hall, Rex, and David Shayler. The rocket men : Vostok & Voskhod, the first Soviet manned spaceflights. London New York Chichester England: Springer Published in association with Praxis, 2001.
・Gagarin - Encyclopedia Astronautica
・ESA - Yuri Gagarin
・Remembering Yuri Gagarin 50 Years Later | NASA

鳥嶋真也 とりしましんや

著者プロフィール 宇宙開発評論家、宇宙開発史家。宇宙作家クラブ会員。 宇宙開発や天文学における最新ニュースから歴史まで、宇宙にまつわる様々な物事を対象に、取材や研究、記事や論考の執筆などを行っている。新聞やテレビ、ラジオでの解説も多数。 この著者の記事一覧はこちら