広報いわた(静岡県磐田市)

2020年11月号

【Chapter1 海老芋を知る】
◆高級食材にして縁起物
海老芋はサトイモの一種である唐芋(とうのいも)を特殊栽培した根菜です。反り返った独特の形や茶色のしま模様がエビに似ていることから「海老芋」と呼ばれるようになったと言われています。
また、海老芋は株の中心に大きな「親芋」があり、親芋の周りに「子芋」ができ、その子芋からさらに「孫芋」ができていきます。このように親・子・孫と増え続けていくため、子孫繁栄の象徴とされ、縁起の良い食材として正月料理をはじめ多くの慶事に用いられています。

◆独特の形と味
海老芋の反り返った独特の形状は、親芋から発生する子芋の付け根に圧を加える土寄せなどの独特な栽培を行うことで、エビのような形に肥大させています。
海老芋の肉質はきめ細かく、とろけるような食感があり、煮崩れしにくいのが特徴です。味が良く、煮てもくずれたり黒くなったりせず、おでんや煮物、細工料理にも向いているため、京料理の食材としても好まれています。
栽培方法が特殊なことから生産量が極めて少なく、希少な食材として高値で取り引きされています。

◆海老芋の始まり
江戸時代中期の1770年代に、青蓮院宮(しょうれんいんのみや)が長崎から持ち帰った芋を、京都市祇園の「平野屋いもぼう」の祖先に栽培を託し、丁寧に育てているうち、皮にしまがある大きなエビのような形をした芋が採れるようになったことが、海老芋の始まりと言われています。
その後、京野菜の一つとされる海老芋が磐田へやってきたのは、1927年ごろになります。

◆磐田、海老芋の一大産地へ
昭和初期に井通(いどおり)村(現豊田地区)で農協の組合長だった熊谷市郎氏が、昭和の不況脱出の試みとして模索した将来の特産になる新作物の一つが海老芋でした。気子島(けこじま)地区で栽培が始まり、生産販売の基礎ができると1935年ごろから大々的に販売されるようになりました。天竜川流域の肥沃(ひよく)で水はけの良い土壌が海老芋の栽培に適していたこともあって、竜洋地区や豊岡地区などにも急速に普及し、現在の磐田市は海老芋の一大産地として定着するようになりました。

一方、本場とされる京都やその周辺地域では、海老芋畑が居住地に変わっていったため、徐々に生産量が減少し、主な生産地は磐田へと移っていきました。現在では磐田市のほかに、京田辺市などの京都府山城地域や大阪府富田林(とんだばやし)市などでも栽培されていますが、栽培方法が特殊なため、競合産地はほとんどなく、全国シェアの多くを磐田産が占めています。
(参考:豊田町誌 通史編)

《海老芋人物FILE(1) 農家》
掘った瞬間に感情があふれます

▽海老芋栽培で苦労することはありますか
いいものを作るためにやっていることなので、苦労と思ったことはありません。確かに疲れることはありますが、その分育てた芋ができたときの楽しみがありますね。

▽海老芋栽培で喜びを感じるときはいつですか
収穫のときは喜びも悲しみもあります。形が良く大きかったらうれしいし、長かったり小さかったりすると悲しいし、掘った瞬間に感情があふれてきますね。

▽海老芋農家が減っていることをどう思いますか
大変な仕事なのでやめていくことはわかります。機械化が難しい作物ですが、ある程度の機械化ができれば、若い人や私のような定年後の方が始めやすくなると思います。

・海老芋農家歴12年
Sさん

《海老芋人物FILE(2) 農協》
磐田の海老芋はブランドです

▽海老芋はどのように出荷されていますか
大都市圏などの市場へはJAを通じて出荷されています。個人で売買すると値がつきにくいこともありますが、「JA遠州中央の磐田産海老芋」にブランド価値があるため、高値で取り引きされています。

▽海老芋農家の後継者問題をどのように考えていますか
海老芋は手作業が多いため、1人の農家が耕作面積を広げることが難しい作物です。農家の減少は収穫量の減少に直結するため、非常に重要な問題です。海老芋部会では新しく海老芋農家を始められる方に対して、「担い手講習会」を実施し支援しています。海老芋はしっかり栽培すれば収益が多く見込める作物なので、新しく農業を始められる方にも挑戦してもらいたいですね。

・JA遠州中央 園芸課
Fさん