広報いずのくに(静岡県伊豆の国市)

令和3年9月号

■伊豆の国市からはじまる北条義時の足跡
第9回 北条義時をめぐる人々と伊豆の国市
〔源頼朝〕

今回から数回にわたり、北条義時をめぐる人々と関連する伊豆の国市の文化財を取り上げていきます。最初の人物は、源頼朝です。

頼朝は鎌倉幕府の創立者、初代征夷(せいい)大将軍として有名ですが、第2回でお話ししたように、義時にとっては、姉政子の夫、つまり義理の兄にあたります。
頼朝は、平治(へいじ)の乱で父義朝(よしとも)が平清盛(たいらのきよもり)に敗れたことにより、罪人として伊豆に配流(はいる)され、20年間流人(るにん)として暮らしました。
頼朝の配流地は諸説ありますが、韮山地区四日町の蛭ヶ島(ひるがしま)はその有力な推定地です。

現在、その場所は蛭ヶ島公園となっています。公園内には、江戸時代に伊豆の地誌「豆州志稿(ずしゅうしこう)」を著わした秋山富南(ふなん)が、この場所を頼朝配流の地と考証したことを記念する「蛭島碑記(ひるがしまひき)」(市指定文化財)があります。また、平成16年に富士山に向かって頼朝と政子が寄り添うブロンズ像「蛭ヶ島の夫婦(ふたり)」が建てられました。
頼朝と同じ時期に伊豆に配流された文覚(もんがく)という僧がいました。文覚は頼朝に反平氏、源氏再興を促したと言われています。父義朝の髑髏(どくろ)や後白河上皇(しらかわじょうこう)の院宣(いんぜん)(*1)を見せて決意させたという説もありますが、これは史実ではないでしょう。文覚が流人として暮らしていたと言われる韮山地区奈古谷には、「文覚上人流寓之跡(もんがくしょうにんるぐうのあと)」の碑が建っています。もう1カ所、韮山地区山木の滝山不動にも、文覚が隠れたと伝えられる洞窟があります。

また、信仰心の篤い頼朝が三嶋大社に参詣した折々に、韮山地区原木の餅売りのお婆さんの店に立ち寄って休息したという言い伝えがあります。将軍となった頼朝は、お婆さんの願いを聞き届けて寺を建立しました。その寺が韮山地区原木の成願寺(じょうがんじ)で、境内には「餅売り媼(おうな)の墓」と呼ばれる石塔があります。
このほか、頼朝の馬の蹄(ひづめ)跡が残ったという「蹄石(ひづめいし)」(長岡地区小坂)、同じく「馬蹄石(ばていせき)」(大仁地区浮橋)、頼朝が喉の渇きを潤した「一杯水(いっぱいみず)」(*2)という湧き水(大仁地区田中山)など、市内には多くの頼朝伝説が残っています。
(*1)上皇または法皇の命令を受けて出される文書
(*2)熱海市上多賀にも「一杯水」という湧き水があります

問合せ:文化財課
【電話】055-948-1428