原爆投下と終戦から80年になるのを前に、長崎県諫早市が市内の被爆者ら戦争体験者に協力を求めて制作を進めていた証言映像「戦争のない未来へ〜子どもたちへの伝言〜」が完成し、市の公式ユーチューブで公開を始めた。「戦争中は(善良だった人も狂ったように)鬼になってしまった」「(私たちの体験を)同情で終わらせないで」−。肉親や級友らを失うなどした80歳から100歳までの男女10人が悲惨な記憶を語り、次世代に切々と訴えかけている。
 戦争体験者の高齢化や減少が進み、戦争について直接話を聞ける機会が失われつつある中、本人の声や姿を記録して活用を図る継承事業として制作。昨年7月から自宅やゆかりのある場所で収録を始め、インタビュアーは地元の高校生たちが務めた。
 「車内は『痛い、痛い』『水を、水を』という声が交差した。生き地獄とはこういうことだと感じた」(救援列車で諫早駅に運ばれてきた瀕死(ひんし)の被爆者の救護に当たった氏原和雄さん)▽「(関東軍は)市民をほったらかして逃げた。私たちは棄民だった」(父親を失い、旧ソ連兵の襲撃に遭いながら旧満州から引き揚げた永島美惠子さん)▽「軍隊は人間扱いじゃない。地獄だった」(19歳で徴兵され、古参兵から常習的に暴行を受けた向井安雄さん)−。証言映像は、長崎原爆の威力の検証などを任務とした米国戦略爆撃調査団が撮影した動画や写真、本人が描いたイラストも交えながら1人約20分に編集した。
 それぞれ、次世代へのメッセージも送っている。大村にあった軍需関係の会社の事務員だった梅林ミツヨさん(100)は「(通勤の)汽車が機銃掃射され運良く家に帰っても、電球の光が外に漏れないよう風呂敷で囲み、粗末なご飯を食べて寝るばかり。つらかった」と涙ぐみ「(戦時中、兵力不足を補う学徒出陣を報じる記事を読んで)こんな愚かな戦争があってなるものかと思った。(戦争を起こさないよう)外国の人とも仲良くしてください」。長崎で被爆し、焼け野原の惨状を目の当たりにした尾〓(fa11)正義さん(91)=以上年齢はいずれも収録時=は「(私たちへの)同情で終わらせないで、自分で調べてみること。そして知識を蓄えて(平和のために)動き出すこと、声かけすること(が大切)」と訴えている。
 証言映像はユーチューブでの公開のほか、DVDにして諫早市内の図書館に配布。市企画政策課は「多くの人に閲覧してもらい、平和について考える機会にしてもらえたらうれしい」としている。