ノートルダム大聖堂、失われたものと残ったもの

ノートルダム大聖堂、失われたものと残ったもの

 フランスの首都パリのシテ島には、かつてローマ帝国の寺院が、その後はバシリカ様式のキリスト教会堂が建っていた。その跡地に1163年春、後にノートルダム大聖堂の土台となる最初の礎石が置かれた。それから数百年の間、ノートルダム大聖堂は信仰と町の中心として栄えてきた。ところが、16世紀に入るとフランスの改革派ユグノー(カルバン派)教徒による襲撃、18世紀にはフランス革命、さらに20世紀にはナチス侵攻と、次々に悲劇に見舞われる。850年に及ぶ歴史のなか、大聖堂は崇敬と反乱の対象となり、損壊と再建を繰り返してきた。それでも、12世紀に据えられた土台はセーヌ川に浮かぶ島にしっかりと残っていた。

 そして21世紀に入った穏やかな春の夕暮れ、ノートルダム大聖堂は炎に包まれた。パリの警察と消防隊員は、一刻を争うようにして持ち運び可能な貴重品の数々を建物の外へ運び出した。そのなかには、キリストが十字架刑に処せられたとき頭にかぶせられていたとされるいばらの冠や、ルイ9世がそれを1238年にノートルダムに納める際に着ていたとされる服が含まれていた。他にも、1789年のフランス革命で宝物庫が略奪された後に教会へ寄贈された黄金の聖杯や銀の水差し、典礼書なども、無事運び出された。

 だが、残念ながら動かせないものもあった。北塔と南塔の巨大な鐘は、フランス史上重要な出来事があると鳴らされてきた。8000本のパイプからなる巨大オルガンは、完成までに数世紀かかり、大聖堂を荘厳な音楽で満たした。太陽の光を受けてきらめく巨大な円形のステンドグラス「バラ窓」は、中世の時代から大聖堂の通路を照らしてきた。本記事の執筆時点で、これらの損傷の程度はわかっていない。

 今のところわかっているのは、既に多くの動画や写真にも記録されているように、エッフェル塔に並ぶパリの象徴として空高くそびえていた19世紀の尖塔が、4月15日午後8時半ごろ炎に包まれて崩落したということだ。尖塔の頂点からパリの街を見下ろしていた青銅の風見鶏は、後に焼け跡から無事発見された。風見鶏の中にはいばらの冠の一部、聖ドニと聖ジュヌビエーブゆかりの遺物が納められていたが、それらの無事はまだ確認されていない。

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