2020年9月末、ヨーロッパとアジアの境にある南カフカスの山岳地帯、ナゴルノ・カラバフとその周辺で発生した激しい戦闘は、何世紀にもわたってくすぶり続けてきた衝突の火をあおり立てた。今回の衝突は、ソビエト連邦の興亡と共に形作られてきた大きな問題、つまりナゴルノ・カラバフの領有権をめぐって繰り返されてきた争いに連なるものだ。

 この面積約4400平方キロメートルの領域は、公式にはアゼルバイジャンの一部とされ、ロシア語で「高地カラバフ」を意味する「ナゴルノ・カラバフ」の名称で知られる。しかし、その人口の大半を占めるアルメニア系住民と隣国のアルメニア共和国にとって、ここは「ナゴルノ・カラバフ共和国(またはアルツァフ共和国)」であり、1988年以来、アゼルバイジャンの支配の及ばない事実上の独立国家になっている。

 イスラム教徒のアゼルバイジャン人とキリスト教徒のアルメニア人は、何世紀にもわたって互いにこの地域の領有を主張し、衝突を繰り返してきた。1823年にロシアによる支配が始まったが、ロシア帝国の崩壊後、1918年に独立したアルメニアとアゼルバイジャンの間で緊張が再び高まった。3年後に共産主義に移行したロシアがカフカス地方の独立諸国の併合を開始し、これが後にソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)となった。

 最初は、カラバフ地域はアルメニア・ソビエト社会主義共和国の一部になる予定だった。理由は諸説あるが、ソビエト支配に対するアルメニアの支持を得るためだったと考えられる。ところがスターリンは、この決定を覆した。1923年に、ナゴルノ・カラバフは当時の住民の94%がアルメニア人であったにもかかわらず、アゼルバイジャン・ソビエト社会主義共和国内の自治州となった。

 アルメニア人は、アゼルバイジャンによって自治が制限され、差別されていると訴えたが、民族主義に不寛容なソビエト連邦はさまざまな抗議を無視した。

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