エジプトのカイロで4月3日夜(日本時間4日未明)、古代エジプトのファラオのミイラ計22体が、映画スターや歌手、ダンサー、馬に乗った護衛などに付き添われて市内をパレードし、由緒あるエジプト考古学博物館から開館したばかりの国立エジプト文明博物館に引っ越した。

「ファラオの黄金パレード」と銘打たれ、ナイル川沿いの道で行われた派手な催しは、大々的にテレビ中継された。エジプトの豊かな遺産を讃え、新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的大流行)によって失われた海外旅行客を呼び戻す狙いがある。

「このパレードによって、すべてのエジプト国民が祖国を誇りに思うことでしょう」と、考古学者で元エジプト考古相のザヒ・ハワス氏は語った。「コロナ禍の中で、人びとは幸せになりたい、祖先に誇りを感じたいと思っています。王に挨拶をしようと道路で待っているでしょう」

 ミイラのほとんどが、古代エジプト文明の黄金期とされる新王国時代(紀元前1539年頃〜紀元前1075年頃)のものだ。22人のファラオの中には、エジプトの最も名高い指導者もいれば、あまり知られていない王もいる。

 その中には、しばしば「最も偉大な王」と称され、旧約聖書の『出エジプト記』に登場するファラオともいわれるラムセス2世や、古代エジプトの数少ない女性ファラオのひとりで、強力な指導者であり、建築事業に力を入れたハトシェプストも含まれる。

 彼らほど恵まれてはいなかった王のミイラもある。10代で亡くなったシプタハ・アクエンラーは、ポリオを患っていたとみられる。セケンエンラー・タアは、戦闘用の斧、短剣、棍棒、槍などによる複数の裂傷を負っていたことが、ミイラのCTスキャンで判明した。

 ほかのファラオも、それぞれ魅力的だ。「私が一番好きなのは、セティ1世です」と話すのは、エジプト、カイロ・アメリカン大学のエジプト学者、サリマ・イクラム氏だ。「趣味が良く、大変ハンサムでした」

 夕暮れの空に21発の礼砲が鳴り響く中、ミイラを乗せた車がタハリール広場から出発してパレードは始まった。ナイル川に沿った約8キロの道を進み、花火や光と音のショーを背景に、ファラオを描いた壁画の前を通過した。

「ミイラは、二重になった保護ケースに入れて運ばれます」とイクラム氏が説明する。ミイラやミイラ化処理の専門家であるイクラム氏は、今回の輸送に関して相談を受けた。「完全な安全性を確保して、運ばなければなりません」

 密閉され、温度と湿度が調節されたケースは、かつてファラオの遺体を墓に運んだ葬送用のはしけを模して装飾された、平床式の軍用トラックに乗せられた。文明博物館では、エジプトのシシ大統領ら高官が到着を迎えた。

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