1929年、ニューヨークのある組織が女性限定のコンテストを開催した。新しくできた女性専用ホテルの名前を募集し、優勝者に6日間のバミューダ旅行を贈るというものだ。

 応募は殺到し、さまざまな名前が提案された。ダイアナ、パトリシアン、ブロード・ビュー。最終的には、サットンが選ばれた。しかし、滞在した女性にとってこのホテルがどのような意味を持つことになるかをぴったり言い当てた名前があった。パラダイスだ。

 こうした女性専用ホテルは1世紀以上にわたり、年代を問わず、女性たちの休息とくつろぎの場、さらには住居としての役割を果たした。ビクトリア朝時代(1837〜1901年)の米国で女性の道徳に関する不安から生まれたこうしたホテルには、大勢の野心的な女性が滞在し、米国社会における女性の地位の見直しに一役買った。

 19世紀初頭の米国では、女性が付き添いなしで旅行することはほとんど考えられなかった。社会は性別によりほぼ分け隔てられており、中上流階級の白人女性が旅行や都市生活に関心を持つことは望まれておらず、家庭が活動の場と考えられていた。それでも旅行する場合、楽しむことは許されず、できるだけ早く私有地に入らなければならなかった。

 おまけに、ほとんどの公共の場では、女性は眉をひそめられるだけでなく、実際に出入りを禁止されていた。都市は女性に適さない不道徳な場所とされ、外で働く女性は危険でふしだらな存在と見なされていた。そんな中でも労働者階級や移民、有色人種の女性は家を出て、多くの場合住み込みの家政婦として働いていたが、それでも疑惑の目を向けられた。

 しかし、時代は変わり、階級の低い女性が仕事を求めて都市に集まるようになる。すると、上流階級の女性は働く女性の貞操を心配し、住居の費用を負担して住宅危機の解決に動いた。こうした女性専用の宿泊施設は、賃金が安く、わずかな生活費で暮らす女性にとって魅力的で、中流階級の道徳を学ぶ機会でもあった。歴史家のニナ・E・ハークレーダー氏はこうした住居を「モラルホーム」と呼んでいる。働く女性たちは完全に1人で暮らしていたわけではなく、年配の「寮母」に見守られ、また行動を監視されていた。

 女性専用の宿泊施設は全米の都市部に次々とつくられ、米労働省によれば、1898年の時点で46都市に働く女性のための住居があった。そのほとんどがキリスト教団体によって運営され、一時的な住居として利用されていた。

 女性労働者の急増を受けてキリスト教女子青年会(YWCA)が1891年に建設した、ニューヨークのマーガレット・ルイーザ・ホームもその一つだ。労働省のリストによれば、帽子職人から家庭教師、図書館員、販売員まで、さまざまな職業の女性が暮らしていた。入居条件には「善良な性格」「自立していること」「立派な振る舞い」などが含まれていた。

 その後、女性参政権運動や世界大戦における女性の活躍もあり、社会規範は目まぐるしく変化する。と同時に、中上流階級の女性も働くようになり、女性専用ホテルは一般化していった。必要最低限の設備から華やかなものまでさまざまなホテルがあった。女性たちはメイドや食事のサービスを受け、滞在者同士で交流しながら、数日から数年にわたってホテルで暮らした。

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