チェルノブイリ原子力発電所の事故から今年で35年。事故が人々の遺伝子に及ぼした影響を徹底的に調べた研究結果が、4月22日付けで学術誌「サイエンス」に発表された。その2本の論文で明らかになった詳細は、私たちの不安を和らげるような内容だ。

 1986年4月26日の朝、現在のウクライナ北部にあったチェルノブイリ原発の原子炉が爆発・炎上し、史上最悪の原子力事故が発生した。激しい火災で雲のようにわき上がった放射性物質が降下して周辺地域に住む人々の肺に入り、家や畑や牧草地に積もり、食べ物などに入り込んだ。ある原子力技術者の言葉を借りれば、この地域の牛乳、サラミ、卵などは「放射性の副産物」と化した。

 以来、研究者たちは、チェルノブイリ原発事故を経験した人々の健康状態をモニターしてきた。対象者は、近隣の町の住民から、事故現場の片付けや原子炉を覆うコンクリート製の巨大な「石棺」を建造する作業に従事した「リクビダートル(事故処理作業者)」までさまざまだ。

 原発事故をめぐっては、未来の世代にどのような影響を及ぼすのかという不安がつきまとう。今回発表された論文の1つは、このテーマでは過去最大規模の研究の成果であり、そうした不安を鎮めてくれる内容だ。チェルノブイリの事故で被曝(ひばく)した親から被曝後に生まれた子どもに、過剰な遺伝子変異が伝わった証拠は見つからなかったのだ。研究者たちは、今回の知見が、2011年の福島第一原発事故の被災者などにも役立つことを願っている。

「大きな影響を及ぼすような変異は、あるとしてもまれです。絶対に起こらないとは言えませんが、一般的な公衆衛生上の危機とは考えていません」と、両論文の上席著者である米国立がん研究所がん疫学・遺伝学部門長のスティーブン・チャノック氏は語る。「今回の結果は、安心できるものだと思います」

「この論文は、そうした影響が生じる可能性を完全に排除するものではありませんが、リスクは現在考えられているよりもかなり低いことが明らかになりました」と語るのは、広島と長崎に拠点を置く日米共同研究機関である放射線影響研究所(放影研)のロバート・ウルリック副理事長だ。氏は今回の研究には関与していない。「この結果が確認されれば、現在のリスク推定を大幅に変更する必要があると思います」

 同じく「サイエンス」に掲載されたもう1本の論文では、チェルノブイリの放射性降下物と、被曝した人々の数百例の甲状腺がんとの関係が調べられた。研究では、これらのがんが発生したメカニズムについて新たに詳細な情報が得られたが、放射線によって引き起こされたがんを、他の原因によって引き起こされたがんと区別できるような「バイオマーカー」はないこともわかった。

 どちらの研究も、DNA技術の進歩によってがん研究がどれほど進歩したかを強調するものであり、放射線が人間の健康にどのような影響を与えるかを研究する重要性を示している。

 研究者たちは1945年の広島と長崎への原爆投下の生存者を数十年にわたって調査し、放射線と長期的な健康リスクとの関連性を調べてきた。しかし、両原爆の被爆者が、非常に短い期間に大量の放射線を吸収したのに対し、チェルノブイリ原発事故の被害者は、それと比べて低線量の放射線をわずかに長い期間にわたって浴びた。このタイプの被曝については、今回ほど大規模かつ新しいDNA技術を用いた調査は十分に行われていなかった。

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