今では大リーグの試合に欠かせない「もう一人のプレーヤー」となったオルガン奏者。野球スタジアムにその演奏が初めて響きわたったのは80年前、1941年4月26日のことだった。著者ビル・ニューコット氏がその歴史と魅力をひも解く。

 ドジャースタジアムの左翼スタンドの後ろに夕日が沈む。観客は今、オルガンに合わせて「レッツ・ゴー・ドジャース」のチャントを歌っている。しかし、私の一番の目的は試合を見ることではない。私が本当に聞きたいのはバットやボールの音ではなく、ドジャースタジアムのオルガンの演奏だ。

 今から80年前の1941年4月26日、シカゴ・カブスの本拠地リグレー・フィールドに、歴史上初めてオルガンの音が流れた。カブスのオーナーであるフィリップ・K・リグレー氏が、正面スタンドの後ろにパイプオルガンを設置し、1万8000人以上の観客がオルガン奏者レイ・ネルソン氏の演奏に熱狂したのだ。

 ただし、この初演時には大きな制約があった。午後2時30分の試合開始までに「その音を止めなければならなかった」と、シカゴ・トリビューン紙は書いている。なぜなら、試合はラジオでも放送されており、カブスは音楽出版のBMI社から自チームの曲をオンエアする許可を得ていなかったからだ。

 今夜、ドジャースの現オルガン奏者であるディーター・ラヘル氏は、大リーグではおなじみの「チャージ(charge)」と呼ばれるファンファーレを鳴らし、イニングの合間にドアーズの曲をフルで聞かせ、ビートルズやスティービー・ワンダーらによる数々の曲の断片を演奏している。

 その昔、スタジアムのオルガン奏者といえば一人で演奏するものと相場が決まっていたが、最近の試合ではDJも登場し、様々な曲の一部をかけて、観客に拍手などで参加してもらうスタイルが取り入れられている。

ドジャースの球場に響いたオルガン

 ドジャースが2点差を追う展開で、チャンスがやってきた。2人を塁に置いて、マックス・マンシーが打席に入る。

 ラヘル氏は、オルガンと観客の両方を見事に操っている。「レッツ・ゴー・ドジャース!」のラヘル氏の旋律と、それに応えるファンのチャントが、巨大なスタジアムに響き渡る。

 ピッチャーが投球動作に入ると、ラヘル氏はふいに演奏をやめる。それがルールだからだ。しかし、氏はすでに止めることのできない大波を引き起こしている。マンシーが打った球は宙に舞い上がり、悲鳴を上げて狂喜する観客の中に飛び込んだ。逆転だ。

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