米国ハワイ州、オアフ島の西部に、手付かずに見える森がある。だが近寄ると、その中にコンクリートの基礎や崩れかけた石の壁、金網の一部が残されている場所があることに気付く。ここは、第二次世界大戦中、ハワイ最大の強制収容所だったホノウリウリ収容所があった場所だ。

 当時、この場所にはプレハブの建物やテントが並び、4000人の戦争捕虜と400人の罪のない民間人が収容されていた。実はそのほとんどが日系米国人だった。1946年に最後の収容者が解放されると、収容所はそのまま放置され、やがて自然にのみ込まれ、米国史の汚点は闇に葬り去られた。

 それでも、ホノウリウリの存在を世に伝えようとする努力が続いている。2015年に、収容所跡地は当時のバラク・オバマ大統領によって国定記念物に指定され、さらに2019年には国定史跡に指定された。現在、考古学者と研究者が収容所跡地を調査し、将来的には一般に開放される予定だ。

隠された歴史

 ホノウリウリ収容所と、そこに収容されていた人々の物語を伝えようという活動は、1998年に始まった。地元テレビ局のレポーターが、ハワイ日本文化センター(JCCH)へ、ホノウリウリがあった場所について問い合わせたことがきっかけだったという。「センターに一切記録がなかったので、地域の人々に聞いて回ることにしました」と、JCCH職員のジェーン・クラハラ氏は振り返る。「ほとんどの人が、ハワイに強制収容所があったことすら知りませんでした」

 それから数年かけて、JCCHはホノウリウリの正確な場所を探すべく、関連する手紙や写真、絵、口述記録などを収集した。2002年、JCCHのボランティアが偶然、コンクリート製の水路と金属製のパイプを発見する。まさに米陸軍の古い写真に残る光景と一致していた。こうして、収容所跡地が特定された。収容所の歴史とそれにまつわる遺物は現在、ホノルルにあるJCCHのホノウリウリ教育センターに展示されている。

 1880年代、ハワイが王国だった時代、サトウキビ畑で働くために日本からハワイに移住した人がいた。ハワイで中国人の人口が増えすぎて、影響力が増すことに不安を抱いたハワイ政府が、中国からの移民を制限し、日本からの移民を後押しした。1900年にハワイが米国の準州になる頃には、女性や子どもも含めて日本からの移民がハワイ人口の40%近くを占めるまでになっていた。日系人社会は結束が固く、日本語学校や寺、料亭が次々に建てられた。

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