洞窟の場所こそわからなくなってしまったものの、発見されたミイラは運び出され、そのごく一部が今も無傷のまま博物館に保管されている。現在、これらの貴重な標本を分析して、カナリア諸島にまつわる物語、その祖先はいつどこからやってきたのか、また彼らはどのようにして死者を葬っていたのかをひもとくための研究が進められている。

死者を永久に保存する技術

 テネリフェ島は、カナリア諸島のなかで最後にスペイン、カスティーリャ王国の手に落ちた島だった。それまでもヨーロッパ人との対立はあったが、1494年に始まった戦いを最後に、島はスペイン領となる。

 アルバレス・ソーサ氏は、当時の征服者と島民たちが対峙する場面をこんな風に想像する。ルネサンスが花開いた15世紀末、船で到着し、馬上で剣を手にしたカスティーリャ王国の兵士たちが出会ったのは、洞窟に住み、動物の皮を着て、木の枝や石で作った道具を使う、まるで新石器時代から抜け出してきたような島の人々だった。「けれど彼らは死者を敬い、肉体をミイラとして保存し、最期の旅へ送り出していました」

 死への興味から、スペイン人たちは島の葬儀の様子を事細かに記録した。特に関心を持ったのは、遺体を永久に保存するための防腐処理の過程だった。

「千のミイラの洞窟」を発見したロマンは、研究のため一部のミイラを標本としてヨーロッパに持ち帰った。ミイラが科学的好奇心とともに目新しいものとして注目されていた18世紀当時、ロマンのミイラにも学者や収集家たちが飛びついた。1833年までに、ミイラは全て持ち出され、洞窟には1体も残っていなかったと、他の複数の資料が証言している。

 ミイラ作りは時間と自然との闘いだが、その方法は驚くほど単純だ。「食べ物を保存するのと一緒です」と、アルバレス・ソーサ氏は説明する。「乾燥させた薬草と動物の脂肪で遺体を処理した後、天日干しし、火でいぶします」。エジプトのミイラは完成までに70日間を要するのに対し、テネリフェ島のものは15日で処理を終えることができる。また記録によると、カナリア諸島では女性の遺体は女性が処理していた。

 完成したミイラは遺族に引き渡され、動物の皮で作られた袋に収められる。この皮(通常はヤギの皮)も保存処理が施され、丁寧に縫い合わされてある。袋の皮を何層にも重ねた遺体は、死者の社会的地位がそれだけ高かったことを示している。この慣習はテネリフェ島だけのものではない。隣のグラン・カナリア島でも、装飾加工を施されたミイラが発見されている。ここではミイラを葦の敷物で包み、木の洞や洞窟の中に埋葬していた。

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