テネリフェ島にある生物人類学研究所の学芸員を務める考古学者マリア・ガルシア氏の研究室には、テネリフェ島のミイラ約30体が保管されている。いずれも、島の各地でハイカーや羊飼いが発見したもので、ガルシア氏はこれらを一つひとつ丁寧に分類してきた。では、1000体ものミイラはどこへ行ってしまったのだろうか。それとも、全ては作り話だったのだろうか。

「組織的な略奪です」と、マリア・ガルシア氏は断言する。「17〜18世紀にかけて、ヨーロッパの知識階級はミイラに魅了されました。そのため、テネリフェ島のミイラは世界中に運ばれ、博物館や個人のコレクションに加えられてしまいました。なかには、粉にされて媚薬として出回ったものもあります」

 アルバレス・ソーサ氏は、大陸に運搬する途中、船内の暖かい環境で腐敗が進み、海に捨てられたミイラも多かっただろうと考えている。

幸運の島

 カナリア諸島は、神話のなかで、古代の船乗りたちが上陸した「幸運の島」であると言われている。後の中世の時代になって諸島にやってきたヨーロッパ人は、他の大西洋の島々と違って、ここには以前から人が住んでいたことを発見した。しかも、彼らは数百年もの間、大陸からほぼ孤立して生きてきたようだった。

 島の人々は、記録によると背の高い白人だったということから、バスク人、イベリア人、ケルト人、バイキングなど難破した船乗りの子孫たちであるという説も生まれたが、これは今では否定されている。だが、現代のテクノロジーのおかげでようやく、彼らの出自についての謎が明らかになった。ミイラが教えてくれたのだ。

 1764年、「千のミイラの洞窟」から持ち出されたミイラは、スペイン王カルロス3世への贈り物としてマドリードに運ばれた。王室は、グアンチェ族の見事な遺体処理の技術に魅了された。1878年にパリ万国博覧会で展示された後、ミイラはマドリードに戻され、現在の国立人類学博物館に100年以上保管された。2015年に、同じくマドリードにある国立考古学博物館に移送され、現在に至る。2016年6月のある夜、厳重な警備のなか、ミイラは近くにあるキロンサルド大学病院に運ばれ、CTスキャンにかけられた。

 放射線科のハビエル・カラスコソ氏によると、この病院では過去にエジプトのミイラをスキャンした経験があるため、グアンチェ族のミイラにも同じ技術を提供することにしたという。その結果、グアンチェ族のミイラは自然に乾燥してできたという説や、その処理法が約5000キロ離れたエジプトのミイラに由来しているという説は否定されることとなった。

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