永遠に壊れることのないように造られたという、エジプトのギザにある三大ピラミッド。まさにそのとおりになっている。エジプト古王国時代を代表する遺跡で、約4500年前に建てられた。

 死後、神々の一員となると信じていたエジプトの王(ファラオ)は、神殿を建立して神々にささげ、自らのためには巨大なピラミッド型の墳墓を建設し、来世での生活に必要な品々で埋め尽くした。

 ギザにある3基の大きなピラミッドはそれぞれ、王宮や神殿、船着き場などを備えた複合施設の一部だ。以下では、誰がどうやってピラミッドを造ったのか、そして、これまでに中から発見されたものなどについて紹介する。

ギザの三大ピラミッドを造った人は?

 ギザで最初のピラミッドを建設したのはクフ王だ。建設は紀元前2550年ごろに始まった。3基の中で最大で、元々の高さは約147メートルだったが、現在はキャップストーン(ピラミッドの頂上部に置かれる石材)を含め全体を覆っていた化粧石が失われてしまったため、若干低くなっている。建設には重量2.5トンから15トンの石が約230万個使われたと推定されている。

 2番目のピラミッドはクフ王の息子であるカフラー王によって紀元前2520年ごろに建てられた。ファラオの顔と獅子の体を持つスフィンクスの巨像が参道の入り口にそびえるカフラー王のピラミッドは、ギザでも際立った存在だ。

 石灰岩でできたスフィンクス像は、1800年代まで頭部を除いて砂に埋もれていた。カフラー王の墓守りと考えられるが、カフラー王が建てたという明確な証拠はない。

 3番目のピラミッドは最初の2基に比べてずっと小ぶりだ。高さはおよそ半分の約66メートルで、カフラー王の息子であるメンカウラー王によって紀元前2490年ごろに建てられた。長い参道で結ばれた2つの神殿と、3人の王妃のピラミッドが付随している。

 メンカウラー王のピラミッドの内部には、ギザだけでみられる精巧な装飾を施された壁龕(へきがん)があり、王の玄室は丸天井になっている。王の石棺は1838年、輸送していた船が航海の途中にジブラルタル沖で沈没し、失われてしまった。

ピラミッドはいかにして建てられたか

 ピラミッドの建設には古代の巧みな技が用いられており、どのようにして造られたかは現代の科学者や技術者にさえも、はっきりとは分からない。だが、建設に携わった人々やピラミッドの実現に必要だった政治力については多くのことが分かってきている。

 造営に携わったのはエジプト人の熟練労働者で、現場の近くには彼らのために約7万平方メートルに及ぶ町も造られていた。製パン所や動物の骨が多数残されていることから、労働者たちは十分な食事をとっていたと考えられる。資源が豊かで、高度に組織された地域社会の痕跡が発掘されていることから、強力な中央権力の存在がうかがわれる。

 エジプト全土にある遺跡やパピルスに残された古代の記録から、アスワンの採石場で切り出された花崗岩や、シナイ半島の銅製の切削工具、レバノンの木材など、ピラミッドの建設に必要な資材はナイル川や運河を利用して船でギザ台地へ運ばれたことが分かっている。労働者の生活を支えるための家畜も、ナイル川デルタの近くの農場から船で運ばれた。

 労働者と、彼らが必要とする食料やその他の生活必需品はエジプト全土から集められたと考えられている。ピラミッド建設は、ファラオの富と支配力を誇示する、いわば国家プロジェクトだったのだ。

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