1975年にアフリカゾウの研究を始めたときから、生物学者のジョイス・プール氏は、ゾウたちがときどき仲間に向かって呼びかけていることに気づいていた。呼びかけに対しては、多くのゾウが返事をすることもあれば、1頭だけが応えることもあった。

「ゾウには特定の個体に呼びかける方法があるのではないかと、わたしは考えていました」と、非営利団体「エレファント・ボイシズ」の科学ディレクター兼共同創設者であるプール氏は言う。それでも「どうやって確かめればいいのかわからなかったのです」。だが、2024年6月10日付けでプール氏らが学術誌「Nature Ecology and Evolution」に発表した新たな研究は、まさにその解明に先鞭をつけるものだ。この研究では、ゾウたちが、個体に固有の呼びかけ(名前)で互いを呼び合っている証拠が示されている。

 名前で呼び合うのは、動物界では極めてめずらしい現象だ。しかも、オウムやイルカといった数少ない種でさえ、名前を呼ばれた側の個体が発した音を相手側がまねる方式だ。たとえばハンドウイルカは、自分に特有のホイッスル音を発し、ほかのイルカたちはその音を繰り返してその個体に呼びかける。

 ところが、ゾウがやっていることはどうやらそれとは異なる。彼らは相手の発する音や物理的特性とは何の関係もない「任意のラベル」を使うという。

「われわれは、こうした行動は人間に特有のものと考えていました」と、論文の共著者である米コロラド州立大学の生物学教授、ジョージ・ウィッテマイヤー氏は言う。

 任意のラベルとは、人間の言語でたとえるなら、ウシ科の動物を指して「ウシ」と呼びかけるようなものだ。この「ウシ」という言葉は、音としても物理的にも、その動物自体にはまったく似ていない。

 一方、科学者が「象徴的なラベル(アイコニックラベル)」と呼ぶより単純なラベルの場合、ウシ科の動物は「モー」と呼ばれることになる。これは彼らが発する音をまねたラベルだ。

 任意のラベルを使えば、コミュニケーションの幅が広がり、抽象的な思考を表現する方法が手に入る。そしてこの理屈は、ゾウにも当てはまるだろう。「認知という点に関して、これはあらゆる可能性を広げてくれます」とウィッテマイヤー氏は言う。

「呼びかけは個々の受け手に特有」

 分析にあたり研究チームは、ケニアのサンブル国立保護区とバッファロー・スプリングス国立保護区で2019年から2022年にかけて録音されたものと、1980年代、1990年代、2000年代にアンボセリ国立公園で録音されたアーカイブ音源の両方を利用した。アンボセリの録音を手がけたのは、同研究の共著者であり、ナショナル ジオグラフィックのエクスプローラー(探求者)でもあるプール氏だ。

 全体として、チームは101頭のアフリカゾウが、117頭の受け手側個体に向かって発した496回分の呼びかけのデータを分析した。

 科学者らが特に焦点を当てたのは、姿が見えていない親族と接触を開始するとき、触れ合える距離にいるほかの個体に近づくとき、子育てをするときにゾウたちが使用する接触、挨拶、世話のゴロゴロ音だ。こうした音には名前が含まれている可能性が高いと研究者らは見込んでいた。

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