泰然自若の人―。東芝の車谷暢昭社長にはこの言葉が当てはまる。アクティビスト(物言う株主)との激しい神経戦に加えて、英国投資会社などからの買収提案を受けても、なぜか車谷社長は平静さを保ち続ける。銀行員時代に仕えた2人のトップの教えが生きているからだ。

「経営者として軸がぶれないようにしている。会社が安定・発展するために必要なことだけに集中し、その他は考えない。誰かに嫌われるからやらない、褒められそうだからやるという雑念が入ると間違う」

かねて車谷社長は「東芝を再建する」「資本市場で立派な評価を受ける」「最終的に株価を上げる」という持論の下、これまで東芝復権を主導してきた。

車谷哲学の原点は先達の教えにある。一人がさくら銀行(当時)頭取で後に三井住友銀行会長に就いた岡田明重氏だ。

「岡田さんが頭取になってすぐに経営企画部の企画課長になった。ものすごく厳しい方だったが、軸がしっかりしていて玄人に尊敬されていた。住友銀行とさくら銀行合併の際、現場では細かく面倒な話が多かったが、岡田さんは鳥の目というか、大局から物事を判断していた」

「一方で財界の仕事は一切されなかった。岡田さんはバブル崩壊の時に人員削減を担当した責任を感じて、表舞台での華やかな仕事は全部断っていた。大変勉強になった」

もう一人が“三井のドン”として知られた三井銀行社長の小山五郎氏。秘書として仕えたことが、かけがえのない財産に。

「『やりたい仕事もあるのだろうが、やってほしいとみんなから懇請されたら迷わずやりなさい』とよく言われた。だから、頼まれ事には逃げずにルビコン川を渡ってみることにしている。東芝の仕事を引き受ける時もその信条に従った」

人脈形成にも役立った。

「人脈は戦後のスーパースターばかり。会うだけでも価値があるので食事には必ず同席を許された。(三井住友銀行常務時代に携わった)東京電力の救済はそうした人脈があったからこそ。東芝が本当に困った時、そのネットワークは生きる」

今の東芝に必要なのは自己変革。変化への対応が求められる。

「(構造改革などで)業績は安定しており、変わる必要がないと思いがち。自己変革は大変な作業だが、多少嫌われても推し進めるのが社長の仕事だ」

車谷社長が嫌われ者に徹するほど東芝の“完全復活”が近づく。(編集委員・鈴木岳志)

【略歴】くるまたに・のぶあき 80年(昭55)東大経卒、同年三井銀行(現三井住友銀行)入行。07年三井住友銀行執行役員、10年常務、13年専務、15年副頭取。17年シーヴィーシー・アジア・パシフィック・ジャパン会長兼共同代表。愛媛県出身、63歳。

【関連記事】<考察・東芝>「日本の総合電機は日立と三菱電機の2社になる」