―[独りラブホ考現学]―

◆第29回 ラブホに「事故物件」はあるのか

 主に不動産賃貸物件における「事故物件」というのが近年話題になって久しい。つまり「事故物件」とは該居室に於いて自殺・殺人・心中その他が存在した物件であり、それにより心理的瑕疵が出来する物件ということであり、賃貸住宅にあってはそれが故に賃料が相場より低く抑えられているというものである。

 不動産賃貸における貸主(大家)と借主の関係性は、伝統的に、借地借家法によって借主が強く保護されている。借地借家法の法的精神の嚆矢は、第二次大戦中の空襲や建物疎開等による民間住宅の喪失にあって、貸主による不当な退去要求や賃料の一方的な引き上げなどを抑止し、以て借主を手厚く保護することにより宿無し人を減少せしめ、戦争遂行のためにこのような社会的不安要素を一掃することを国家権力が志向したことにある。

 戦後にあってもこの借主優位の法則は遵守せられたが、バブル期にあってはこの借地借家法を盾に、容易な退去要請に応じず、住み慣れた街へのこだわりを捨てきれない伝統的借家人に対しての無理筋な圧力(所謂”地上げ”)がなされたことは負の側面であった。

 しかるに、目下全国における空室率が2割とも3割ともいえる賃貸住宅の状態にあっても、この借地借家法の借主保護の精神は生き続けている。よって不動産賃貸仲介業者は、借主の不利益になる事については、事前に借主に告知義務を有することから、一部の悪質な事例を除き、該物件に心理的瑕疵が存在することを契約時に通告する義務を有している。

 これを秘すると、借主から該事由により契約破棄の通告がなされ、往々にして借主保護の観点から比較的容易に契約破棄が成立し、このような瑕疵を秘した貸主側が訴訟され、結句損耗を被る結果となっている。よって心理的瑕疵の存在については、必ず契約時にそれを貸主がつまびらかに明かすことが定められているのである。我が国における賃貸住宅では、このように貸主を手厚く保護する仕組みが目下継続しているのである。こうした事実を踏まえて現に存在するのが所謂「事故物件」と言われるものの概況である。

◆ラブホ側が宿泊者に通知する義務は?

 さてこの「事故物件」であるが、賃貸住宅のみならずラブホテルにその旨を援用して「事故物件」などと形容する向きがある。つまりそれは何か。曰く、「ラブホテルAでは過去に殺人事件があった」「ラブホテルBの〇〇号室では過去に室内で自殺があり、この怨霊により現在でも宿泊人に霊的影響がある」などという、科学的根拠が皆無のものである。

 無論、ラブホテルでの宿泊は、完全なる旅館業法の管轄であるから、借地借家法とは関係がなく、該物件や室で過去に殺人・自殺・心中・刃傷沙汰その他があったとしても、原則その旨を宿泊人に通知する義務はない。しかしながら、1億総インターネットの時代、とりわけ繁華街に近接するラブホテルにあっては、過去に殺人や自殺といった事件等が発生した物件であることは、過去の報道等を検索すれば、仮に該ラブホテル物件の名前が明示されなくても、報道時の写真等によって容易にそれが特定できるというものである。

 またもし報道での特定はできなくとも、概ねこの物件がそうである、といった書き込みがインターネット掲示板やブログ等に散見されることから、該物件が「心霊ラブホテル」である、等とする情報は幾らでも発見することができる。目下の情勢では、このような「幽霊が出る」「該室内で死んだ(殺された)霊魂による祟りがある」などの不確定情報が繁茂している状態であり、あまつさえそれを逆手にとって、「心霊ラブホテルに泊まってみた」などという企画を、ユーチューバー等が物見遊山・興味本位で行っている事例は枚挙に暇がない事は厳然たる事実であり、これが該物件への風評被害に直結することは言うまでもない。

 さて、とりわけ「心霊ラブホテル」と噂される「事故物件」にあって、該物件に実際宿泊した人々は何を言うのだろうか。筆者は、「心霊ラブホテルに泊まってみた」などという企画を実際に実行して動画にまとめている複数のユーチューバーの内容を検証してみたが、どれも筆者にとっては宿泊経験のある物件ばかりであった。20歳以降、独りラブホに500万円余の投資をしている筆者からして、このような素人が喧伝するラブホテルは、既に筆者にとって「宿泊経験済み」の物件ばかりだったのである。

◆頻出する“ラップ音”の正体

 彼らはどのような主張をするか。曰く、該ラブホテルで殺人事件があった等を根拠として、宿泊中にラップ音が聞こえたなどの身勝手な主張をする事が多い。ラップ音とは心霊・オカルト界隈にあって頻出する単語であるが、要するに室内で宿泊人の挙動に依らない、原因不明の破裂音や雑音が聞こえるというものである。

 実際のところラップ音の真相とは、老朽化したコンクリート建築物にあって、そのコンクリートが永年の風雨により水分を含んで膨張することによって、コンクリートの膨張部分に鉄骨・配管等が僅かに接触し、不規則な雑音を発生させているものである。コンクリートは水分にさらされるとその体積が膨張する性質を強く持つことから、築年数が古い物件ではこのような不規則音が生じる可能性がある。

 また防音構造が弱い物件などでは、通常使用の排水時に、汚水の流れる音が不規則な雑音として階下等に聞こえるのであるという、ただそれだけが真相なのである。よって「心霊ラブホテル」と噂される「事故物件」についての、これらのラップ音すなわち「幽霊の仕業」というのは、完全に科学的根拠のない陰謀であり、興味本位でこのような動画を拡散させている一部のユーチューバーにあっては、該ラブホテルへの営業妨害であって、厳に慎まなければならない。

 また宿泊当日は特段異常はなくとも、後日体調異変を訴える者もいる。その体調異変というのは、体の痺れ、不定愁訴(なんとなしの体調不良)、頭痛、吐き気、精神的ストレス等である。もちろんこれらの宿泊者が訴える体調異変と、彼らが宿泊したラブホテルとの因果関係は完全に絶無である。しかしこれらの体調異変を「心霊ラブホテル」に泊まったからである、と主張する者が絶えない。

 だがよく考えてみればこれらは陰謀論的荒唐無稽の範疇を脱していない。どんな高級ホテルに泊ったとしても、当日の就寝姿勢の悪さによって体躯中心・頭頚部等の神経が急性的に圧迫され、暫くたって痺れ症状が出る場合は十分にあるし、いや宿泊以前から何らかの要因により体調が悪化しており、それがたまたまチェックアウト後に発現したものにすぎないということができる。精神的ストレスにあっては、「心霊ラブホテル」に泊ったからに違いない、という思い込みが優先して自家消化的に不調の原因を該物件に求めているだけにすぎない。いずれも根拠が絶無であり、我が国のラブホテル文化を瓦解させんと目論む情報工作活動・破壊策動の類であると唾棄してよい。

◆幽霊や悪魔より怖いのは…

 筆者は実のところ、所謂「心霊ラブホテル」とインターネット上で指摘される東京都内の、とある有名なラブホテルを定宿にしている。この物件は、さんざん、インターネット上で「幽霊が出る」とされている物件であるが、筆者はここに通算40泊はしている。しかしこの物件に泊まったとしても、筆者は過去に一度も体調不良を覚えることは無く、快適に惰眠をむさぼり、昼を迎えて何ら問題なくチェックアウトしている。実はこのラブホテルは、報道によれば過去に殺人事件があった物件で間違いないのである。それを筆者はとうの昔から知っているが、だからと言って幽霊に何かされた事実は一度たりとも無い。

 勿論、犯罪被害者や志半ばで自害に至った人々の無念はいかばかりであろうか。しかしラブホテル居室内で、もしそういった事件・事故があったとして、そして実際に無念の霊魂が該物件を漂っているとしても、それが世俗を生きる現宿泊人を当日だろうと後日だろうと呪い殺した、などという例は聞いたことがない。

 過去に該土地や建物で人々が無念の死を遂げ、その影響が現在でもあるという仮説が正しいのであれば、古代から戦乱・内乱・謀(はかりごと)のため、他殺が繰り返された古都・京都市や奈良市に存在する不動産はすべて「事故物件」となるはずだが、そんな事実は存在しない。筆者は霊魂の存在を必ずしも否定しないが、彼ら無念の魂が現在の世俗人に害を与えるとは全然思わない。

 ラブホテルの建物内、または室内に無念の霊魂が存在するのであると、話を百歩譲ったとしても、その霊魂は宿泊客を狂死させたか。誰一人としてそんな事件は無かったではないか。霊魂の存在を肯定するせよ、彼らの無念は当然憐憫に値するが、仮にそうであったとしても我々に害をもたらさない。霊魂による「霊障(幽霊による害悪のこと)」をことさら騒ぎ立てて、過去の報道と対照し、ラブホテルの一部を「心霊ラブホテル」などとせせら笑う人がいるが、全く情けない反知性のたまものであり、ラブホテルを愛する1億人民はこうした反動勢力に毅然とNOを突きつけなければならぬ。

 ラブホテルに存在する霊魂は我々宿泊人を絞め殺したか。生きたまま火で焼いたか。銃弾を浴びせて殺したか。霊魂よりも、ウクライナの無辜の人民を殺傷し、略奪し、陵虐し、燃料気化爆弾やバンカーバスター、巡航ミサイルを以て大勢の無辜の市民や子供を殺害し、あまつさえ「核をも使う」と示唆するプーチン露大統領の方が余程悪逆非道の、許せざる悪鬼である。本当の悪魔はラブホテルに住まう死せる霊魂ではない。本当の悪魔は世俗を生きる狂った独裁者ではないのか。

<文/古谷経衡>

【古谷経衡】
(ふるやつねひら)1982年生まれ。作家/文筆家/評論家。日本ペンクラブ正会員。立命館大学文学部史学科卒。20代後半からネトウヨ陣営の気鋭の論客として執筆活動を展開したが、やがて保守論壇のムラ体質や年功序列に愛想を尽かし、現在は距離を置いている。『愛国商売』(小学館)、『左翼も右翼もウソばかり』(新潮社)、『ネット右翼の終わり ヘイトスピーチはなぜ無くならないのか』(晶文社)など、著書多数

―[独りラブホ考現学]―