格闘家・高須将大さんの今年4月に開設したブログ 「余命3ヶ月だった男」が、反響をよんでいる。

今年29歳の高須さんは、24歳の時、肝臓がん「ステージ4」であることが判明。これまで2度再発し、4度の手術を行った。闘病中もリングに立っていた高須さんは、現在最後の治療を終えて2年半。3ヶ月に一度の定期検査では毎回緊張するが、「がんになってなかったら、格闘技をやめていたかもしれない」と笑う。

高須さんがそう語る背景には、「目標」を持つことの大切さと、生き方を変えてくれたいくつかの出会いがあった。高須さんの希望の源泉について、話を聞いた。

◆格闘技を始めて3年、発覚した「大きな腫瘍」

やんちゃなタイプではなかったものの、スポーツや勝負ごとは好きだった。高校までは野球少年。卒業後は就職したが、何か打ち込めるものに飢えていた。「生きていくうえでの目標」がほしかった。

そんな折、目に留まったのが山本KID徳郁さんだ。当時、高須さんは20歳。山本さんのファイトスタイルと筋肉に魅了され、格闘技への興味がわく。近所にあったブラジリアン柔術をメインとする道場の門を叩いた。

「ちょっとはいけるかなと思っていたのに、自分より全然細いオッサン達にボコボコにされました(笑)。何度も挫折して、やめようと思いましたね。でも、楽しさが勝って」

ブラジリアン柔術の大会で優勝を重ねるうちに実力が認められ、MMA(mixed martial arts、総合格闘技)のプロデビューが決まった。23歳になっていた。

デビュー戦はドロー、2戦目は勝利。3戦目に向け、練習をしていた2017年6月のある日のことだ。スパーリングで蹴られた腹の痛みがひかず、アバラが折れたのかと会社の診療所へ。エコー検査で、肝臓に腫瘍があることがわかった。

◆1度目の術後2ヶ月で再発と転移、腫瘍は悪性。どん底だった日々

大きい病院で改めて検査をしたところ、腫瘍は10センチもの大きさ。即刻手術する以外の選択肢はなかったが、何せプロスタートしたばかりだ。さまざまな感情が胸の中を交錯した。

「まさか自分が…と、まずはそのショックと、試合を諦めるしかないショック。手術の恐怖もありました」

その2週間後、7月になってすぐ手術。病理結果で腫瘍は悪性――がんだと告げられつつも、復帰戦に向け体作りをしていた矢先、9月の検査で再発、肺への転移も明らかになる。高須さんは、「5年間の闘病期間中、この頃がいちばん辛かった」と振り返る。

「手術したばかりで気合を入れ直した時だったし、今度は抗がん剤ということにも恐ろしさがあって。治療への気力が一切出なくて、部屋にこもっていました」

どん底に突き落とされ、「がんに打ち勝ってやろう」なんて強い気持ちも持てなかった、というのが本音だ。しばらくして、そんな高須さんを心配した道場の井上和浩代表から、〈ジムに来いよ〉という言葉をもらった。正直そんな気分ではなかったが、行ってみると、また治療を頑張ってみようと思えた。

◆誰も希望を持たせてくれないなか、出会った「光」

前を向くために必要だったのは、目の前の相手に集中すること、そして「人と接すること」。一歩踏み出してみないと、気づかなかったことでもある。

「練習中は、病気を忘れることができました。『もう一度戦っている姿を見たい』という言葉が、すごく嬉しかったですね。でも、帰りに1人で車を運転していると、不意に思い出して悲しくなったり…とか、ありましたけどね」

一方、家族の奔走により、セカンド・オピニオンで順天堂大学医学部附属病院に縁が繋がる。そこでステージ4だと聞かされた。

「それまでも、そこでも、いろいろな先生に会ったんですけど、誰も希望が持てるようなことを言ってくれなくて……。母が自分にバレないように泣いているのも辛かった」という高須さんは、同大学で、主治医となる永松洋明氏と出会う。「がんになったのは運が悪かったですけど、永松先生に会えたことに関しては、運がいいと思います」

もちろん永松先生も、病気の状態など、事実は事実として口にする。

「でも、治療を始める前に『一緒に頑張っていきましょう』と言ってくれたのは、先生が初めてでした。ささいな一言かもしれないけど、自分にとっては大きかった。この先生を信頼して、頑張ろうと思えました」

ひとの一言が、姿勢が、自分にとっての光となることを実感した出会いだった。

◆闘病中だからこそ、大切な“現実逃避”  山下弘子さんから学んだ背中

とはいえ、「何故自分が」と幾度も思った。同時期にプロデビューした人たちはどんどん活躍していく。“理不尽”さに腹が立ちながらも、当時、高須さんはがんを公表していなかった。「腫れ物に触れるような、変に気を遣われるのはイヤだった」という。

その頃、偶然アフラックのCMで山下弘子さんのことを知った。1992年10月生まれで、高須さんより1歳上。19歳の時に肝臓がんが見つかり、手術直後の再発と肺への転移。自分との共通項がいくつもあった。それから、山下さんのブログやSNSを見るようになった。

「明るく前向きな姿に、勇気をもらいました。山下さんから学んだのは、『今の状況を受け入れて、自分のやりたいことをやっていく』ということ。そして、自分も隠さずにSNSで発信するようになりました」

SNSでは、本当にたくさんの人が病気と闘っていることに気付かされ、交流も生まれるなか、「せめてあと1回、絶対試合に出る」という目標を定めた。自分の生き方を考えるターニングポイントだった、と高須さんは言う。

「病気と向き合うのも大事ですけど、病気のことばかり考えていたら、落ち込んでしまうので…いい意味で、“現実逃避”も大事かなと。目標を決めたら、前向きになれました。格闘技があってよかった」

◆闘病中に「やりたいことをやる」から、意味がある

2017年11月から化学療法を始め、2018年3月まで入退院の繰り返し。4月からは服用する抗がん剤での治療を続ける傍ら、トレーニングに打ち込んだ。永松先生も親身に応援してくれた。目標を作ったことが高須さんを奮い立たせ、再発して約1年後の2018年8月、復帰戦。ギリギリの戦いだったが、勝利した。

「副作用で、手足症候群といって、手と足の裏の皮膚が痛くなったり、固くなったりすることもあったんですけど、テーピングしてごまかしつつ…。でもスポーツはやっていいと言われていたので、試合にも出ちゃった(笑)」

いたずらっぽく笑う高須さんに、勝つ自信はあったのか尋ねると、「ありました」と即答する。「試合に出て負けました、じゃあ、何の説得力にもならない。勝ってこそ伝わるものがあると思った」という言葉からは、復帰戦にかける思いが、自らの勝利のためだけではなかったことをうかがわせる。

「治してからやりたいことをやるっていうのは、当たり前というか、普通だと思ったんです。闘病中に自分のやりたいことをやることで、何かメッセージになるんじゃないかなと」

◆「がんにならなかったら、格闘技は続けていなかった」

山下弘子さんの存在で、ひとは、ひとによって前を向かせてもらえることを、改めて体感した。治療と練習を両立させ、がん細胞をすべて取った。そして2019年8月13日 、初のZST本戦で、20秒 TKO勝ち。本戦出場という目標を達成し、いい勝ち方ができたと手応えを感じたのもつかの間、肺と肝臓に再々発した。

「振り出しに戻された感じがした」けど、「死にたくはない」。ショックがないはずはないが、最初に再発した時とは、メンタルが180度違っていた。「今度はSNSで応援してくれる人もたくさんいて、素直に頑張ろうと思えました」

手術と抗がん剤治療をすべて終え、経過観察中の今も「もしがんにならなかったら、どう過ごしていただろう」と思うことはある。ただ、同時に「ならなかったら、格闘技を続けていなかったかもしれない」とも。

「トレーニングって、毎日毎日地味で同じことの繰り返しですから(笑)。病気になって、格闘技を強制的に取り上げられたことで、自分の人生になくてはならないものを再確認できました。練習も、それまでは“なあなあ”で、自分で成長しようとは思っていなかったんですよね。限られた時間を意識するようになって、初めて成長できたんだと思うんです」

また、試合とは別の角度で力になれたらと、2年前ほど前から小児がん・難病の子供と家族の施設「チャイルド・ケモ・ハウス 」に、パンツスポンサー代の半分を寄付する活動を行っている。さらに今年7月には、秋葉原にパーソナルスタジオもオープンさせた。成長していく喜び、体が変わっていく楽しさを共有したいという思いからだ。

◆人生をより楽しむために

大切にしているのは、「常に目標を持つこと」。今後の目標は、現在所属する団体(GRACHAN)で、チャンピオンになることだ。

「好きなことや目標、挑戦するものがあると、人生はより楽しくなる。格闘技で勇気を与える方はたくさんいます。でも、大病して格闘技を続ける、自分のような人間もいる。同じ病気の人や見てくれる人が、少し勇気を持てるようになればいいなと思います」

永松先生先生は今、試合の度に見に来てくれるが、実は高須さん、「余命3ヶ月」だったことは、最近になって知ったのだとか。

「めちゃくちゃびっくりしました。ステージ4とは聞いていたけど、そんなんだったのかって(笑)」

病気になったという「事実」が、変わることはない。ただ、誰かの「希望」になることはできる。自分が一度絶望したからこそ、その信念は揺るがない。

【高須将大(たかす しょうた)】
1993年7月29日生、茨城県出身。高校卒業後「ストライプル茨城」入門、ブラジリアン柔術の大会で実績を積み、2016年11月にプロデビュー。現在は「パラエストラ柏」所属。6勝3敗2分。167cm、61.2kg(試合時)。ブログ「高須将大 余命3ヶ月だった男」、Twitter:@nitrais

取材・文/吉河未布 撮影/中庭愉生

【吉河未布】
大阪府出身。大学卒業後、会社員を経てライターに。エンタメ系での著名人インタビューをメインに、企業/人物の取材記事も執筆。トレンドや話題の“裏側”が気になる。『withnews』で“ネットのよこみち”執筆中。Twitter:@miho_yskw