5人組ロックバンド「サカナクション」のフロントマンの山口一郎が、体調不良のため当面の間休養することになりました。今年の5月から倦怠感と疲労を抱えながら活動してきたものの、6月下旬にドクターストップ。今回の決断に至ったとのことです。

◆Twitterに「燃え尽き症候群だったみたい」

 所属事務所からの発表があった7月1日に、自身のツイッターアカウントで「コロナ禍で頑張りすぎたのか燃え尽き症候群だったみたい」とコメントした山口。以前から度重なる偏頭痛や帯状疱疹に悩まされてきたこともあり、多くのファンが心配しています。

「アルクアラウンド」や「新宝島」などのヒット曲を持ち、2013年には紅白歌合戦に出場し、名実共に日本を代表するバンドとなった彼ら。

 一方、ライブでは大量のスピーカーを配置して音響へのこだわりを見せたり、色鮮やかな照明や現代アートを意識した演出を施したりして、コアな音楽ファンを驚かせてきました。

 音楽活動以外でも、『シュガー&シュガー』(Eテレ)や『NFパンチ』(スペースシャワーTV)などのテレビ番組で、80年代のニューアカデミズムをオマージュした“エセ教養バラエティ”までやってのけるバイタリティ。それゆえに、山口の休養は残念なニュースでした。

◆“正しい人格”を求められる窮屈さ

 そこで気になるのは、「燃え尽き症候群」と明言した山口の状況です。いまの時代、ミュージシャンにとってメンタルヘルスは避けて通れない問題だからです。

 たとえば、理想とされるミュージシャン像を考えてみましょう。良い作品を作るのは当然のこととして、ひとつひとつの発言に社会的な正当性や意義を持たせられる人格の持ち主を思い浮かべないでしょうか。SNS上でもファンやメディアを相手にそうした意識の高さを示し続けなければならない。

 このように、公私の境目がほぼなくなった状態でONとOFFの切り替えもできないまま、常に“立派なアーティスト”であることを求められてしまうのですね。

 そうした切迫感は、サカナクションの楽曲やMVにも現れています。「忘れられないの」や「新宝島」、「ショック」などで、どれだけパロディをしたりユーモアを交えたりしても、律儀な職人気質が残る。わざとぎこちなく踊ったり、大げさに表情を作ったりする丁寧さを見るほどに、おかしみから遠ざかっていくのですね。

 手取り足取り注釈をつける作風は親切ですし、リスナーの間口を広げるきっかけにもなるでしょう。けれども、生真面目さがいい加減の抜け感を潰してしまう。メタ批評的な引きの視点を追求するほどに、身動きが取れなくなっていくわけです。

◆オンもオフも隠せないSNS時代

 NHKニュースのインタビュー(2022年4月28日)で、山口はこう語っていました。

<例えば自分たちがブランディングとして「こういうふうに見せたい」みたいなものに対して、リスナーであったり視聴者の人たちも、見抜く力がついてきたっていうか、たぶんそれもSNSの影響だと思うんですけど。だから、隠せなくなってきたっていう。隠せなくなってきた分、さらけ出さなきゃいけなくなったっていう、そういう時代なのかなとも思ってますけど。>

 これは鋭い指摘であると同時に、気づいてしまったがためにそこに自身をしばりつける構図にもなり得ます。SNSでのやり取りもファンとの駆け引きの材料になり、創作活動のモチーフになるとしたら、文字通り公私の境目は消え去るからです。

 筆者がサカナクションの音楽に感じる辛さとは、質が低いことではなく、むしろその逆で、表現と発言(思想)が高度に紐づけられていることの痛ましさなのです。「燃え尽き症候群だったみたい」との言葉がジョークに聞こえない理由です。

◆あらゆることがネットにアップされるプレッシャー

 現代におけるミュージシャンのメンタルヘルス問題は、欧米でも顕在化しています。主な要因は、やはりSNS。

「Burnout: What musicians in 2019 are ‘perpetually terrified’ about」(燃え尽き。2019年を生きるミュージシャンが’絶えずおびえる’もの BBC News 2019年7月17日配信 筆者訳、要約)という記事で、新鋭シンガーソングライターのサム・フェンダーが取材に応じています。音楽業界全体の問題としてアーティストの身体的、精神的な健康に気を配るべきだと主張するサムの発言を受け、問題を投げかけます。

 ライブ中に誰もスマホで撮影しなかったのどかな時代とは異なり、いまは最悪のパフォーマンスをしてしまえばすぐに動画が拡散されてしまう。のみならず、プライベートの一挙一動も逐一ネット上にアップされてしまう。

<ソーシャルメディアと“常にトップでいなければ”という感覚が現代のミュージシャンに余計なプレッシャーを与える>

 その一方で、SNSの気軽さは若いスターを簡単に祭り上げるイージーな環境も生み出します。こうした激しいアップダウンが、彼らのメンタルヘルスにダメージを与えるというわけなのですね。

 良きにつけ悪しきにつけ、あらゆることが“自分”を中心に動いていく恐怖。

<ミュージシャンなんて、本当に空虚な商売だよ。四六時中自分の写真をながめては、自分自身について語ってるんだから>と、サム・フェンダーは嘆くのです。

◆インタビューで語った「観念的」な内容

 そう考えると、山口一郎の自己言及には危うさを覚えます。国内外のミュージシャン、ソングライターのインタビューを読むことの多い筆者ですが、山口の語る内容はかなり観念的です。

 たとえば、ボブ・ディランならばメロディの元ネタやオーギュメントコードの使い方、調性を変えることで曲のトーンも変わるといった具合に、直接音楽に関わる話をします。レナード・コーエンも、「ただテレビを観た、だけではダメだ。どの番組を観たかを書かないと詞にならないんだ」と、ディテールがすべてを決定すると力説します。

 山下達郎はドビュッシーを引き合いに出して自身のハーモニーセンスを解説し、奥田民生はアレンジメントの名著『コンテンポラリー・アレンジャー』(ドン・セベスキー著)から必死に学んだ経験を語る。

 でも、山口は違うのです。

<僕はミュージシャンなので、音楽の中で、本当に美しいものを作ろうとすると理解されないものになっていく。はるか遠くのものというか、人が手を伸ばそうともしない遠いものになってしまうけれど、それが本当に美しかったら、いつか手を伸ばしてもらえると思うんですよ。>
(【永久保存版】サカナクション山口一郎×NEWS23小川彩佳「本当に正しいことはいつも少数」 「NEWS23」スタッフノート 2019年6月6日)

◆ストイックさゆえに自身を追い込んでしまったのでは?

 皮肉ではなく、ほとんど宗教家のような発言です。このくだりのあとで、自身を<通訳者>と称していることからも、決して大げさなのでもないのでしょう。

 ここまで大きなスケールから、社会に善をもたらすツールとして音楽を捉える人を、筆者は他に知りません。それはあまりにも尊い。

 しかし、その熱烈な尊さゆえに、自身を追い込んでしまった可能性はないでしょうか。高貴な心がけが多くの共感を呼んだせいで逃げ道を塞いでしまっていたとしたら?

 山口一郎の燃え尽きは、ハードワークのせいだけで片付けるわけにはいかないのです。

文/石黒隆之

【石黒隆之】
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4