◆起訴前鑑定で異例の4か月留置

 安倍晋三衆議院議員(元首相)が7月8日午前11時半ごろ、奈良市で参院選の応援演説中に銃撃され死亡した事件で、現行犯逮捕された奈良市在住の山上徹也容疑者(41歳)が7月25日から精神鑑定を受けている。奈良地裁が7月25日、奈良地検の鑑定請求(7月23日)を認めた。

 山上容疑者は7月10日に殺人容疑で地検に送検された後も、奈良西署に勾留されていたが、勾留満期の29日を待たず、25日に鑑定のため大阪拘置所に移送された。鑑定は11月29日まで4か月実施される。鑑定留置は、専門医が成育歴や生活状況、犯行時の精神状態などを詳しく調べるための手続きで、精神鑑定の結果をふまえ、地検が刑事責任能力を判断する。山上容疑者の起訴は早くても今年末となる。

 報道各社は、彼が取り調べで話したとされる「供述」情報を垂れ流してきたが、裁判所は「容疑者の精神状態、責任能力があるかどうかを専門家に聞く」というのだ。安倍氏と「世界平和統一家庭連合」(旧・統一協会、以下、統一協会とする)の関係が取り上げられるのを先延ばしするための政治的作戦としか思えない。

 またメディアは<山上容疑者は遅くとも去年3月から銃の製造を始めるなど計画的に犯行を準備していた一方で、動機には論理の飛躍がみられる>(毎日放送)、<山上容疑者は計画的に行動する一方、安倍氏を襲撃した動機の論理に飛躍がある>(読売新聞)と強調した。

 しかし、山上容疑者の主張に論理の飛躍はないと筆者は思う。報道各社は<(旧統一協会への恨みから)つながりがあると思い込んだ安倍氏を狙ったと供述。一方で、事件前に書いた手紙では「(安倍氏は)本来の敵ではないともつづっていた>(7月26日『朝日新聞』)と報じた。メディアは、安倍氏と統一協会に深い関係があると「思い込んだ」と強調した。

◆鑑定留置の間、警察の取り調べはほとんどできなくなった

 奈良県警は逮捕直後に、山上容疑者の氏名・住所などを県警記者クラブに広報した。筆者は奈良県情報開示条例に基づき、県警捜査1課と奈良西警察署が事件発生の7月8日から14日までにクラブに提供した広報文の複写を入手した。

 開示された文書によると、広報文は➀被疑者の逮捕②被害者の死亡③解剖結果(死因)と7月8日と9日の県警の記者会見(8日・刑事部長ら3人、9日・県警本部長)の連絡文の5枚だけだった。県警は、山上容疑者の「供述」に関しては、8日の会見での口頭説明以外、一度も広報していない。

 県警幹部は、山上容疑者の母親が1億円を超える献金などをした統一協会に恨みを抱き、協会幹部を攻撃するのが難しいと判断し、祖父の岸信介・元首相時代から協会と深い繋がりのある安倍氏を狙ったなどと供述していることを公式・非公式ルートで、記者クラブ加盟の報道各社に伝えてきた。しかし、鑑定留置の間、警察の取り調べはほとんどできなくなった。

 県警と記者クラブの二人三脚による「自供」報道はそのまま信用できないが、山上容疑者の伯父の元弁護士が7月14日などに報道各社に行った説明は信頼できると思う。

◆メディアは「安倍元総理の政治信条への恨みではない」と強調

 筆者は1984年に出版した『犯罪報道の犯罪』以降、事件報道の被疑者・被害者の匿名報道主義(公人の職務上の嫌疑の場合は顕名)を提唱しているが、この事件は統一協会の悪質性を社会に訴えるために最高実力者の政治家を暗殺した事件として、山上容疑者を顕名にする。

 安倍氏暗殺事件では、「山上容疑者は安倍氏の政治姿勢には反対していない」という世論誘導が目立った。NHKは事件の約4時間後<警察当局によると、現場で逮捕された41歳の容疑者は「安倍元総理大臣に対して不満があり、殺そうと思って狙った」という趣旨の供述をしている一方で「元総理の政治信条への恨みではない」とも供述している>などと報じた。

 続いて、日本テレビも<調べに対し「殺そうと思って狙った」などと話していることが新たにわかった。一方で、山上容疑者は「安倍元首相の政治信条に対するうらみではない」とも話していて、これまでのところ容疑者について事件につながるような思想的背景や組織的背景については確認できていない>と伝えていた。他社も「捜査関係者への取材で分かった」と同様の報道を行った。

 奈良県警の山村和久捜査1課長らは8日午後9時半、県警4階の会議室で記者会見を開いた。山村氏は「被疑者山上は逮捕後の取り調べ時、『特定の団体に恨みがあり、安倍元首相がこれと繋がりがあると思い込んで犯行に及んだ』旨本人が供述しているが、以下詳細については差し控えさせていただく」と述べた。県警は、団体と安倍氏に繋がりがあると「思い込んだ」と公表した。

 山村氏は記者の「殺意については」の問いには、「行為について、私がしたことに間違いございませんと弁解録取ではしている」と回答。「特定の団体とは」という質問には「答えを差し控える」とした。

 県警と報道各社は参院選が終わり、田中富広統一協会会長が11日に記者会見するまで、統一協会の実名を伏せた。

◆「供述」は警察が流しただけ。真実はわからない

 重大事件で、警察が被疑者の動機などの起承転結を、発生から半日以内に報道各社にリークしたのは極めて異例だ。松本サリン事件の報道被害者、河野義行・元長野県公安委委員は「捜査官が職務上知り得た情報を民間企業である報道機関に漏洩するのは、地方公務員法の守秘義務違反に当たる」と指摘する。

 警察が無実の市民を犯人にでっち上げようとしたり、拷問などの違法捜査が行われていることを報道関係者に知らせたりする内部告発は許されるが、被疑者が密室の取調室で刑事に話した内容が、真実のように垂れ流されるのは異常だ。

 メディアが取調室に盗聴器を仕掛けるか、被疑者の供述を聞ける超能力者を雇う以外に、被疑者の供述は分からない。記者クラブの社員記者たちは、県警幹部、捜査官への夜討ち朝駆けの“御用聞き”取材で、供述情報を警察官からもらっているのだ。警察側は若い記者たちを完全に統制できる。参院選投開票の3日前に起きた元首相暗殺事件では、警察庁・警視庁トップによる意図的な情報操作があったと思われる。

 ましてや現在の日本警察のトップである中村格警察庁長官は、安倍氏に最も近い警察官僚だ。中村氏は警視庁刑事部長だった2015年、伊藤詩織氏が告訴した性暴力被疑事件で、山口敬之・TBSワシントン支局長(当時)の逮捕状執行をストップさせた人物だ。山口氏は安倍氏に近く、安倍氏礼賛本も上梓している。中村氏らが安倍氏暗殺に関する取材・報道でメディアに圧力をかけたのではないかと筆者は疑っている。

◆山上容疑者の精神鑑定は政治的な理由によるもの!?

 県警と記者クラブの二人三脚による「自供」報道はそのまま信用できないが、山上容疑者の伯父の元弁護士が7月15日などに報道各社の囲み取材に行った説明は信頼していいだろう。

 山上容疑者の鑑定開始で、「供述」情報はほとんど報道されなくなった。精神医学者でノンフィクション作家の野田正彰・元関西学院大学教授は「本人の供述は論理的でかつ一貫しており、鑑定は不要だ。鑑定するにしても2週間もあれば十分。彼を非正常だと印象付け、口封じを狙った政治的鑑定だ。彼の命が危ない。報道各社は監視すべきだ」と指摘する。

 野田氏は8月2日、筆者の取材に「今回の鑑定は、精神鑑定の社会的意味をいい加減にする行為に当たる。世間において鑑定は、犯罪をおかしたにも関わらず、精神疾患に仕立てれば罪にならないと思う人がつくられてきたのは、こういうでたらめな鑑定へのプロセスが進行しているからだ」と指摘した。

 また「報道と伯父の説明によると、今回は本人が明快な意思をもってしているのだから、『精神疾患の疑いがある』ということは彼を貶めると同時に、世間の犯罪と精神鑑定の関係を歪めることになるので、鑑定はすべきではない」と断じた。

「鑑定留置は騙しだ。しかも、起訴前鑑定で4か月は長すぎる。やる場合も、2週間あれば十分。警察・検察の意図がある。それでほとぼりを冷まそうとしている。『精神疾患はない』という鑑定が出ると思うが、『彼は正常ではない』という誤った印象を植えつけるためではないか。政治的な精神鑑定だ」(野田氏)

◆正当な鑑定がなされることは「絶対にない」

 さらに野田氏は「精神鑑定が始まったので、専門医は何をすべきかを言いたい」と、次のように語った。

「山上容疑者は、はっきりと自分の意思があり、思考もよどみがなく、自分の見解をきちんと言える人だ。まず生い立ちから聞き、父と兄が自殺し、父母がどういう過程で行き詰まり不幸になっていったか。母が統一協会によってどう変わっていったか。家族、自分が将来思っていたことがどう変わったか。それをしっかり聞き取らなければならない」

「鑑定医は彼に共感し、感情移入して聞き取っていかなければならないが、日本の現状でそういうことができる精神科医がいるとは思えない」

 大阪拘置所には精神科医がいるかどうかを聞くと、野田氏は「非常勤の精神科医はいると思う。マスコミが殺到するから誰が鑑定するかは公表しない。鑑定留置で、正当な鑑定がなされることは絶対にない」と断言した。そしてこう続けた。

「精神科医はほとんど診察しないで、放っておく。鑑定料は約40万円で、書くだけで消耗する。欧州などでは精神鑑定医の制度があるが、日本は何もない。不要な薬は出さないだろう。弁護士がついているので、薬を飲ませたり強制的に注射をしたりすれば、弁護士に言うのではないか」

「拘置所のほうが空調があり、差し入れが比較的自由ということはある。検察・警察に日夜呼び出されるということはなくなる。メディアは鑑定留置について、まったく批判しない。『思い込んだ』というが、彼が思いこんだという言葉を使うはずがない。思い込んだというのは偽造だ。記者は、『思い込んだという言葉を本人が使ったのか』と聞くべきだ」

◆山上容疑者に手紙を送ったが…

 野田氏は、山上容疑者の身の安全を心配しているという。

「獄中でシャツを使って首を吊ることもあり得る。日本では、非人間的な房内での処遇の問題もある。脱獄・自殺の恐れがあるとして保護房などに拘禁される恐れもある。彼が死なないように祈る。ジャーナリズムは監視しなければならない」

 野田氏は「鑑定でひどいことにならないよう、伯父を通じて助言したい」と申し出ている。筆者は7月19日、伯父に「報道被害の救済などで支援したい」と申し入れた手紙を送っている。

 さらに筆者は7月13日、奈良西署気付で山上容疑者にハガキを送ったが、「受け取り拒否」で返送されてきた。受け取りを拒否したのは山上容疑者ではなく、奈良西署のほうだろうと推測する。

 野田氏は「マスコミ各社は1980年代から、統一協会にたびたび激しい電話やファクスの抗議を受けてたいへんな目に遭ってきたことを忘れたような顔をしている。私は大学で新入生に統一教会の勧誘の手口を教えて、警戒するよう指導していた。悪質な新興宗教のお金の集め方のオリジンは統一教会だと知っているはずなのに報道してこなかった。全国で多くの人が被害に遭い、生活破綻しているのに、マスコミは書かない。取材チームを出して番組をつくるべきだ」と述べた。

◆容疑者の母親が、どういうやり方で騙されたのかを解明すべき

 容疑者の伯父は8月1日、テレビ大阪の単独インタビューに応じた。山上容疑者の担当弁護士から伯父に連絡が入り、山上容疑者は「伯父や妹に申し訳ない」と話していると報じられた。事件後から伯父の家に身を寄せている容疑者の母親の様子については、「母親の部屋の床には、旧統一教会のバイブルと見られる分厚い書籍が何冊か並べられていて、いまも教会の教えを学んでいる様子」だという。

 伯父によると、山上容疑者のために現金など差し入れをする動きが全国からあり、かなりの金額になっているという。伯父は事件後、旧統一教会と政治家との繋がりが次々と明らかになっている点について聞かれ、「まだ表に出ていないお金の流れを明らかにしてほしい、と話した」(いずれもテレビ大阪の報道)。

 野田氏は「山上容疑者の母親が、どういうやり方で騙されたかを解明すべきだ」と言う。同氏は著書『泡だつ妄想共同体―宗教精神病理学からみた日本人の信仰心』(春秋社・1993年)の「霊感商法と現代人の心」と題した章で、統一協会が信者を獲得する巧妙な手口を明らかにしている。

 野田氏は「テレビは統一協会と政治家の関係などを報じているが、なぜ大学生ら若者が統一協会に入るのか、はまるのかを報道すべきだ。ビデオを使って集団で眠らせないようにして、人を落とす時の卑劣な手口を伝えて、騙されないように注意喚起すべきだ」と提言する。

 野田氏も「1980年代は、ずっと統一協会に脅されてきた」と話す。「私のいない時に、妻や子どもを脅した。いつもの手口だ。マスコミもやられている。各大学には、正体を隠したサークルが一つか二つあり、紛らしい名前の大学新聞も出している。大学教授の時代は、学生に対し、統一協会に気をつけるよう指導した」

◆山上容疑者に公正な捜査と裁判を

 筆者は安倍氏の国葬(9月27日)について、「権力犯罪を監視する実行委員会」の49人のうちの一人で、国葬の予算執行の差し止めを求める仮処分を東京地裁に申し立てた。近く本訴(行政訴訟)も提起する。野田氏は安倍氏の国葬については「許せない。とんでもないことだ。7月11日の増上寺の葬儀の時にも半旗を掲げた自治体がいくつもあったらしい」と述べた。

 この事件は、現場検証が事件から5日後に行われ、安倍氏を撃った銃弾が未だに発見されていないなど謎が多い。山上容疑者には弁護人が3人ついているようだ。うち2人は奈良弁護士会の刑事弁護委員会に所属する国選弁護人、もう一人は私選弁護人という。弁護人3人はメディアの取材に応じていないと聞く。賢明な判断だと思う。

 筆者は「勾留理由開示手続きを要求すべきだ」と提言したが、実現しなかった。日本国憲法は第31条から40条まで刑事手続きを規定し、すべての人に、無罪を推定される権利を保障し、公正な捜査と裁判を受ける権利などの基本的人権を認めている。それが「法の支配」「自由で開かれた国」なのだ。山上容疑者が公開の裁判で、法と証拠に基づいて正義の裁判を受けることを期待したい。

文/浅野健一

【浅野健一】
1948年生まれ、ジャーナリスト。元共同通信記者、元同志社大学教授。『犯罪報道の犯罪』ほか著書多数