―[ヒット商品&サービス「はじまりの物語」]―

 何事にも始まりはある。そしてそこには、想像もつかない状況や苦労も。例えば「スーパー銭湯」。今では全国各地に当たり前のように存在する施設だが、スーパー銭湯という言葉の発祥である温浴施設は、現在8店舗を展開する「竜泉寺の湯」(愛知県)。その誕生にはどんな裏側があったのか、同施設を運営するオークランド観光開発株式会社の、副社長である松永哲明氏と専務の松永尚忠氏に話を聞いた。

◆スーパーは「飛び抜けた」の意味だけではなかった

 日本最初のスーパー銭湯「竜泉寺の湯」が誕生したのは1989年。スーパー銭湯という言葉の誕生の裏側について副社長は次のように話す。

「当初は『夢の健康銭湯』にしようと検討していましたが、インパクトに欠けるということで再考して『スーパー銭湯』としたんです。もちろん『飛び抜けている』という意味もありますが、それまでの公衆浴場(いわゆる町の銭湯)よりも、様々な設備を取り揃えていることがわかるように、沢山の商品を取り揃えている『スーパーマーケット』からも言葉をもらった形です」

 まさに、普通の銭湯にはない種類のお風呂やサウナが特徴となるのがスーパー銭湯。一方、当時から風呂の種類が多い施設としては健康ランドも存在していたが。

「健康ランドは宿泊もするため規模も大きく、人件費がかなりかかっていたようです。そのため2000円程度の入館料を取っているところが多かったです。私どもは、人件費を最小限に抑えて、安く提供しようと考えていました」(松永専務)

 現在は、業界規模も大きくなったスーパー銭湯だが、最初は”銭湯以上健康ランド未満”というニッチなビジネスモデルを狙っていたのだ。

◆バブル期に入浴料330円の安さ

 種類の多いお風呂とサウナを安く提供しようと始まったスーパー銭湯。開業当時の入浴料はなんと330円(土日は380円)。現在と物価が違うとはいえ、驚きの安さだ。この価格設定には、ある計算があったと松永専務。

「当時、名古屋市の銭湯の入浴料が290円でした。サウナがついている銭湯もわずかにあり、200円の別料金がかかっていました。そこで、サウナの利用率を調べてみると約20%だということがわかったんです。私たちは全てのお客様にサウナを提供したかったので、銭湯の入浴料290円にプラス40円で提供を始めました」

 施設の大きさやサービスがかなり違い、ランニングコストも肥大するスーパー銭湯。それでも安くスタートさせた背景には、先代社長の強い思いがあったと松永専務は話す。

「先代が1960年ごろからサウナ業をやっていまして、サウナとお風呂に入るのが大好きでその良さを沢山の人に知ってもらい、健康長寿のためサウナとお風呂を大衆化させたいという信念があり、そのためには安くなければいけないという思いで始めました」

◆建設費5億円、大失敗の予感もあった初期

 先代社長の情熱を注ぎ込んで開業した日本初のスーパー銭湯「竜泉寺の湯」だが、オープン当時は苦労も多かったという。

「建設には約5億円かけました。多くの方にサウナを体験してもらうためにも、50人が入れる当時で日本最大級の超巨大なサウナ室も作りました。しかし最初の数年は思う様に客足が伸びず…。社内でも『大きい箱を作りすぎたのかなぁ』なんて会話もありましたね」(松永副社長)

 銭湯は元来、自宅に風呂のない人が利用する施設だった。それが、高度経済成長とともに、自宅の風呂が当たり前になってきたことで、風呂に入りに行くという文化がほとんどなくなっていたことも影響していたと、松永副社長は分析。苦節の期間も長かったと話す。

「当時はSNSもないので口コミの広がりにも時間が掛かり、開業後2〜3年は採算が取れず大変な時期が続きました。それでも、いいものを作った自信はあったので、いつかは来ていただけるようになるとは信じていたんですが、やはり不安はありましたね」

◆認知を広めた「もう一つの日本初」

 その自信のとおり口コミによって徐々に「竜泉寺の湯」も客足が伸びてきた。それに比例するように全国にスーパー銭湯を名乗る施設も増加。その流れをさらにブーストさせたのもまた「竜泉寺の湯」によって日本で初めてスーパー銭湯に導入された「炭酸泉」だった。

「ある新聞に、デイケアセンターで炭酸泉を導入した記事が載っていました。その中で、記者の方が炭酸泉を体験して絶賛していたんです。それを先代の社長が見かけて、その日のうちに全店導入を決めました」(松永専務)

 炭酸泉も現在では、スーパー銭湯だけでなく温浴施設になくてはならない設備だ。とはいえ、こちらも導入当初は一筋縄ではいかなかったようだ。

「最初は『ぬるすぎる!もっと熱くしろ!』なんていう声もありました。炭酸泉は長くじっくり入って温まるものなので、『ゆっくり入ってみてください』とお伝えしていたのですが、全然信用してもらえなくて『もうこんな風呂入らん!』というお客様もたくさんいらっしゃいました」(松永専務)

 それでも、館内に炭酸泉によって期待できる効果を掲示するなど、努力を積み重ねて徐々に認知と人気が広まっていった。

「人気が出はじめると、他のスーパー銭湯の方も炭酸泉を体験しに来られたりして、どんどん広まって、今ではスーパー銭湯の当たり前の光景になりましたね」(同氏)

◆スーパー銭湯をコロナ禍から救ったものは?

 その後、こちらも全国に先駆けて導入した「岩盤浴」によって女性客が増えたという。聞くほどに、温浴施設のあらゆるサービスのパイオニアであることがわかる。そんな同施設にもコロナ禍の影響は大きな影を落とした。

「コロナで売り上げは大きく落ち込みました。特にお年寄りと女性客が激減しました。また、家族連れも一気に減りましたね。コロナが広がり始めた頃は、感染すると差別を受けるような時期もありましたので、学校でクラスターを起こさせないように、家族連れのお客様もいなくなりました」(松永副社長)

 当初は、誰もが一過性のものと見込んでいたコロナ禍。それが長引くに従って、回復は見込めないんじゃないかという不安も蔓延していたと同氏。しかし、それを救ったものがあった。

「危機を救ってくれたのが今のサウナブームです。今まで、温浴施設にあまり来られなかったような特に若い男性客が来ていただけるようになりました。30年前に『サウナを広めたい』と思って始めたスーパー銭湯ですが、それが30年経って、サウナに救われるというのは感慨深いものがありますね」(松永副社長)

 今後について話を振ると「ブームと言っても、まだまだサウナや高濃度炭酸泉に入ったことのない方はたくさんいると思います。魅力的なサウナとお風呂で、未体験の方にも来ていただき近場で非日常体験を味わってもらえたらと思います。」と松永専務。筆者は、スーパー銭湯が”もっとも身近なレジャー”だと思う。その歴史を知って入るサウナと風呂は、また一味違って感じるかもしれない。

<取材・文/Mr.tsubaking>

【Mr.tsubaking】
Boogie the マッハモータースのドラマーとして、NHK「大!天才てれびくん」の主題歌を担当し、サエキけんぞうや野宮真貴らのバックバンドも務める。またBS朝日「世界の名画」をはじめ、放送作家としても活動し、Webサイト「世界の美術館」での美術コラムやニュースサイト「TABLO」での珍スポット連載を執筆。そのほか、旅行会社などで仏像解説も。

―[ヒット商品&サービス「はじまりの物語」]―