デビューから40年以上を経ても、数多くのレギュラー番組を抱え、多くの芸人から神聖視されていた芸人・松本人志。お笑い業界だけでなく、テレビを支配し、芸能界の頂点を極めたと言っても過言ではない存在感を示していた。尼崎の貧困家庭で育った内向的な少年が、お笑い界の「現人神(あらひとがみ)」となることができた理由はなんなのか。そして松本人志が「天才」と評価される理由はどこにあるのか。ダウンタウンの笑いの「革新性」とはなんだったのかーー。
ダウンタウンに憧れ芸人になった岩橋良昌は、兼光タカシとのコンビ「プラス・マイナス」で上方漫才大賞を獲得するなど賞レースで輝かしい成績を残し、卓越した腕を持つ漫才師になった。ダウンタウンの二人とは番組共演も果たし、松本が企画する『ドキュメンタル』にも出演している。そんな岩橋は、ダウンタウンは自分にとって“破壊神”だと力説する。その理由とは。

(本記事は『松本人志は日本の笑いをどう変えたのか』(宝島社)より、一部抜粋したものです)

◆「話芸の天才」には共通した要素が

僕は破壊が好きなんです。松本さんのトークからは破壊を感じるんです。話芸の天才と言えば、上沼恵美子さんや島田紳助さんもいらっしゃる。トークには、振り方、伝え方、オチなどいろいろな要素が散りばめられていて、持って生まれた才能に加え、設計力みたいなものが問われると思います。

漫才も似たようなところがあって、起承転結が必要です。しゃべくりだからって、ずっとワーワー話していればいいってわけじゃなく、「はい、どうも〜」から「もう、ええわ!」まで流れがあります。その台本に沿って漫才をしてしまうと発表会みたいになってしまうから、人となりが問われるんです。

それって、テンションや話し方などいろいろな要素があると思うんですけど、僕は割と自由に暴れてきた。言わば、理性と野性がうまいことごっちゃになるのが理想的だと思うんですけど、松本さんのトークって、この二つがものすごい次元で融合しているなって思うんです。漫才じゃなくて、平場のトークでこれができるって信じられません。

◆「動物的な笑い」を面白がってくれた理由

松本さんのトークは、ものすごく設計しながら、突然終わりを迎えるようなロジック無視の破壊がある。とんでもないボケの一言を放り込んで破壊する。トークって、その人の才能だと思うんです。しゃべり方、テンポ、言い回しとか、その人の才能で笑かしている。そこに破壊の要素がある気がして、僕は勝手に感動しています。

ダウンタウンのお二人は、タブーに手を出すようなヒリヒリしたトークを展開される。大物芸能人にも臆することなく突っ込んでいく。どうなるかわからないところにハンドルを切ってしまう野性的な感覚というか。だから、僕の動物的な笑いも面白がってくれたのではないかと思うんです。

破壊に魅せられてしまった僕からすれば、やっぱり今のコンプライアンス重視の世の中は、ちょっと息苦しさを感じます。動物みたいな僕に、あれもダメ、これもダメって課せられると、自分勝手で申し訳ないと思うんですけど、しんどいです。

◆世の中の流れはわかるけど「残念だし悲しい」

失礼と笑いは紙一重なところがあって、そこを面白がってる僕は時代遅れなのかもしれないです。昔、番組の企画で料理を作っている時、我慢できなくなってケチャップを天井にぶちまけたことがありました。しばらくすると番組に、視聴者のおばあちゃんから達筆の苦情が届きました。

みんな破壊の面白さをどっかでわかっているはずなんです。お笑いって、日常ではありえへんようなものを見れるから面白くって腹を抱える。それがどんどん減っていくのだとしたら、僕は残念だし悲しいです。世の中の流れはわかります。飲み込まれていくのか、抗っていくのかってところだと思うんですけど、なかなか抗えない。すべてがいい子ちゃんになっている感じがしちゃって。

いろいろなものが発展して便利になって、スマホで簡単に見ることができるけど、「じゃあ、腹を抱えてほんまに笑えてんのか?」って尋ねたら、みんなどう答えるんでしょうね。今の時代の人たちはかわいそうやなって思いたくないけど、「その面白いってほんまはもっと面白くなるのにそれでいいの?」って思ってしまう。

◆「一蘭の味集中カウンター」みたいな楽しみ方もダメなのか

コンプライアンス的にアウトだとしても、一人で楽しむ分には許されるシステムもダメ? 「一蘭の味集中カウンター」みたいにできへんのって思います。破壊的なものが、笑いの中から薄まっていくのは寂しいなと思います。ケガはしちゃダメですけどね。

僕はもう出演が終わってしまいましたけど、BSよしもとで『ガッツ100%テレビ 〜笑いと愛が企業を救う〜』っていう番組があって、ものすごく自由なことをさせていただきました。“アンチ時代の流れ”じゃないけど、やりたいことをやって、体を張って。ものすごく面白い番組なので、是非みなさんに見てほしいです。

◆少しでも「ダウンタウンさんのすごさを伝えたい」

自分がバラエティ番組で破壊的な表現をするとき、『ごっつええ感じ』を見ていた中学生の自分が笑ってくれるか−そんなことを考えながらやっていました。ダウンタウンのお二人は、芸人にとって神様のような存在だけど、僕にとっては破壊神でした。

お互いが壊したり、壊させたりして笑いをかけ算にしていく。お二人にしかできない破壊がある。どこまでが予定調和で、どこまでがアドリブなのか、誰にもわからない壊し方があるんです。コントにしても、トークにしても紙一重で壊してくる。どぎついことを放送できた時代でも、やっぱりダウンタウンさんは異質やったと思います。あんだけ相手が怒るか怒らないの紙一重のところを攻める笑いって、意味がわからないじゃないですか。

僕がダウンタウンさんのことを語るなんておこがましいにもほどがあるって、自分でもわかっています。でも、僕は仕事もないし、激イタ100パーでこの依頼も受けてしまった。だけど、もう何を言われても大丈夫だと思う立場にいるし、少しでもダウンタウンさんのすごさを伝えられたらいいなと思ったんです。

◆自分がおもろいと思う「自由な破壊」を目指す

僕は文字通りフリーになった。子供の頃から抑えることのできない、破壊に満ちた自由な笑いがしたい。時代の流れに逆らおうと思います。やっぱり腹がちぎれるぐらい笑うって感覚を伝えていきたいんです。自分がやったことで、見ていた人が、「オシッコ漏れる! オシッコ漏れる!」って言いながら笑ってもらえるようなこと。気持ちよく笑っている人が好きだし、僕はその時間が一番の幸せです。笑わされてる時も、笑かしてる時も。

今のところ不安のほうが抜群に強いですけど、ワクワクはしてます。漫才という一つのちゃんとした芸能のなかでも破壊を求め、それなりに結果は残せたと思っています。いったん区切りをつけて、今度はウソのないほんまに自分が好きな笑いを追い求めたい。

YouTubeで配信されているバラエティ番組『佐久間宣行のNOBROCK TV』で、「100ボケ100ツッコミ」という企画にチャレンジさせてもらいました。自分で観てみたら、おもんないところもいっぱいありましたけど、おもろいと思うところもあって。そう思えるときって、やっぱり破壊的なことをしているんですよね。

ハリウッドザコシショウさんなんて、大破壊芸人じゃないですか。あんなめちゃくちゃなことをして面白い人がいるんですから、自分もザコシさんとは違ったベクトルの破壊の笑いを提供できたらと思っています。理屈じゃない、センスじゃない、「こんなもんわろてまうやろ!」という笑い。言葉がわからんでも笑うもん。

岩橋良昌っていう人間のノリなのかグルーヴなのかわからないですけど、魂から「こいつ何してんねん!」って思われるような笑いをしていきたいです。

◆「裸一貫」になって「解放されたところもある」

心が折れることなく、「やり切る」ということをモットーにして、オファーが来たときは思いっきりバットを振ります。ウケようがスベろうが、どんな結果になっても気にせずに、自分をさらけ出していく。まったく笑ってない人がいても、数人が腹ちぎれるくらいに笑っていたら本望です。

ちょっと前までは、「あっ、俺、漫才師。パリッとしよ」みたいな気持ちがありましたけど、今はそれもなくなって、ホントの裸一貫。裸の俺をぶつけて、「見たことないな」って思わせたい。解放と言ったらカッコつけすぎですけど、やっぱり解放されたところもあるんです。

岩橋良昌の表現が、多少なりともコンビ時代に浸透し、僕の訳わからん言動や暴れまくる笑いを面白いと思ってくれる人もいるってわかりました。プラス・マイナスの20年には、めちゃくちゃ感謝しています。そこでわかったことを、一人になって、より研ぎ澄ましていく。松本さんにも言われたことですよね。

めっちゃおもろい時はめっちゃおもろいし、全然おもろない時は全然おもろないーーアベレージを取りにいかずに、ホームランか三振しか狙わない。自分がおもろいと思う自由な破壊を目指す。そして、いつの日かまたダウンタウンのお二人と共同作業させていただけたら、最高です。

<談/岩橋 良昌>

【岩橋良昌(いわはしよしまさ)】
1978年、大阪府生まれ。お笑い芸人。NSC(吉本総合芸能学院)大阪校25期生。吉本興業に所属し、2003年に高校の同級生でNSC同期の兼光タカシとプラス・マイナスを結成。06年、M−1グランプリ準決勝初進出。07年、ABCお笑い新人グランプリ優秀新人賞。12年、上方漫才大賞新人賞。13年、R−1グランプリ決勝進出。23年には上方漫才大賞の大賞に輝く。24年、吉本興業と契約解消しフリーに。強迫性障害であることを公表している。