【本橋信宏 萌える火曜日】#4

 部屋の窓から日本武道館が見える。

 いまから58年前、イギリスから来た4人組がこの建物で演奏を行い、日本人の価値観が変わるきっかけになった。

 私も大きな影響を受けたひとりである。

 ビートルズ研究の第一人者、藤本国彦氏とこの一室で何度も対談を行い、「アンダーグラウンド・ビートルズ」という一冊に仕上がった。版元はこの部屋の主、毎日新聞出版になる。

 私がビートルズの存在を知ったのは、小学1年の秋、1963年ケネディ大統領暗殺で世界が衝撃を受けたころだった。

 私の実家は毎日新聞をとっていた。父が新聞を開く脇で、私も父が読みかけた新聞の活字を拾う、ませた小学1年生だった。

 当時、少年漫画誌は漢字のほとんどにルビがふられていたので、少年サンデーを読んでいた私は、ある程度の漢字は読めた。

 毎日新聞夕刊の外信面で私が強く記憶していたのは、ロンドンで4人の若者たちが、ものすごい人気を集め社会的現象になっている、という記事だった。署名は「ロンドン 小西記者」。

 ビートルズとロンドン小西記者がセットになって私の記憶に刻まれた。

 毎日新聞が初めて日本にビートルズという新しいタイプの4人組を紹介した記事は、本当に小西記者という人物が書いたのか。私の記憶違いか。同じ版元から刊行する僥倖によって、膨大な記事から検索され、私の記憶が合っているか判明した(正しかった!)。

 私が中1のときに読んだ同紙の新譜紹介で、ビートルズの新LP「アビイ・ロード」が好意的に評価されていた、という記事も発掘した。もっともジャケットが裏表逆、横断歩道を歩いている表面ではなく、活字が多く載っている裏面が写真に使われている。活字が多い裏面を、表と勘違いしたのだろう。

 ビートルズにまつわる封印されたスキャンダルや謎を手だれの藤本国彦氏とともに掘り下げた。

 初来日時、ポールがこっそり四谷のソープに入浴したという都市伝説は果たして事実なのか。映画「レット・イット・ビー」の屋上コンサートで、演奏中止させようとした警官は仕込みだったのか。気のいいロードマネジャー、マル・エバンスはなぜ射殺されなければならなかったのか。ビートルズチビ説は実際どうなのか。映画「ハード・デイズ・ナイト」で、リンゴと一緒にテムズ川を歩いたあの少年はいま、どうしているのか。70年代に席巻したビートルズ訳詞家、落流鳥とは何者だったのか。

 発売されたばかりの「アンダーグラウンド・ビートルズ」の不思議な縁を感じる私である。

(本橋信宏/作家)