【証言から読み解くジャニーズの本音と建前】#4

「会見では3年前くらいからとかって言ってるけど、もう十何年前からだから」【※1】

 嵐の活動をやめる意思が昔からあったことを語った大野智。大野は、アイドルという“職業を選んだ”のではなく、“職業に選ばれた”といったほうがしっくりくる男だ。

「アイドルになることが夢だったのですか?」と聞かれ「いや、全然。ジャニーズって歌って踊って、何だか大変そうだと思ってたから(笑い)」【※2】と笑う。母親が事務所に履歴書を送ったのだ。ジャニーズJrになってからも「有名人になりたいとか、そういう気持ちが全然なかった」【※3】大野は、18歳でやめようとしていたところ、故ジャニー喜多川に「レコーディングを手伝ってくれ」と言われて、歌ったのが嵐のデビュー曲だった。最初の数カ月は「どうやったら抜けられるかな」と考えていたが、生放送に遅刻して怒られた時に初めて「『もうJrの頃のようにはいかないんだ。就職しちゃったんだ』って気持ち」【※2】になって覚悟を決めた。

“就職”から20年、大野の「一回立ち止まって自分を見つめ直したい」という相談が起点となり、嵐は活動休止を決めた。実はジャニーズ事務所のアイドルは、自らが辞意を表明するケースでは基本、グループを脱退し事務所も退所になる。大野自身もそれを覚悟しての相談だったと会見で語っている。つまり嵐は、新しい例となったのだ。

 いったい何が功を奏したのか。大野には理解ある仲間たちがいた。その筆頭が櫻井翔である。大野に意思を告げられた瞬間について会見で「相談というニュアンスではなく、意思が固まったところなんだろうな、と。どれだけ時間をかけても全員が納得する形の着地点を探そう」としたことを語っている。そして「35も過ぎた大人が、それぞれだから。それぞれの結論ってのが出てるから」【※1】と、もう軌道修正はしづらくなった“大人の男たちの人生”を調整する役割を自ら担った。

 もちろん議論は簡単に“2020年いっぱいでの活動休止”にたどり着いたわけではない。解散も含めた5つのケースを考えホワイトボードに書こうとした櫻井は手が震えたといい、「机をたたいて怒鳴ったこともあるし。そんなことしないように努めてきた我々がね」【※1】と振り返る。そうして、“事務所に残りながらの休止”が許されると思っていなかった大野は驚きながらも、現在の結論に着地していった。

 もともとは「アイドルじゃなくて絵を描く仕事がしたかった」【※2】という大野は、2度のアート展を開き、画家の奈良美智にもその才能を絶賛されている。櫻井の以下の発言には、アイドルではない他の人生もあったかもしれない大野への、大きな思いやりが詰まっている。そしてそれがファンも「大野くんの夏休み」と形容するような、ジャニーズ事務所史上ない“優しい結論”へと導いていったのかもしれない。

「大野っていうのはすごく才能が豊かな人なんです。踊り、歌、絵……。他のところに行く可能性も秘めた人なんです。それを20年一緒に我々とともに歩んでくれた。だから、休んでいいんじゃないかな」【※4】

【※1】Netflix「ARASHI’S Diary―Voyage―」Episode1 2020年
【※2】「SPA!」2010年8月17・24日合併号
【※3】「ピクトアップ」2010年4月号
【※4】日本テレビ「news zero」2019年1月28日

▽霜田明寛(しもだ・あきひろ)1985年、東京都生まれ。早稲田大学卒。WEBマガジン「チェリー」編集長。ジャニーズJrオーディションを受けたこともある「ジャニヲタ男子」。著書に「ジャニーズは努力が9割」(新潮社)などがある。