【日米通算200勝の原動力とこれまでとこれから】

 ダルビッシュ有(37)は2004年のドラフトで、日本ハムから単独1位指名を受けた。

 東北高時代、甲子園でノーヒットノーランを達成するなど、未来のエース候補としての能力は疑いようがなかった。一方、スカウトの間で「練習嫌いで扱いにくい問題児」という「性格面」の評判も流れ、1位指名を回避した球団もあったが、その逆もあった。

 さる球界関係者がこう言う。

「04年は『自由獲得枠』という制度で、1、2巡目で2人の“逆指名”枠を使ったら、ドラフト本番での指名は4位から。巨人は1巡目で野間口(シダックス)、2巡目で三木(八戸大)の自由枠での獲得が決まっていた。これを放棄しないと1位クラスのダルは獲得できないが、当時の巨人のスカウトはダル側に『プロに行かない』と会見で表明させ、日本ハムなどを引かせた上で、4位で指名できるか模索していたといいます。父親のファルサさんが窓口だったダル側は首を縦に振らなかったと聞きますが……。1位でプロ入りできる可能性があるのに、4位指名というのは割に合わないということでしょう。巨人は長嶋監督時代の98年ドラフトでも、上原(大体大)、二岡(近大)を逆指名で取った上で、横浜高の『平成の怪物』松坂を3位で獲得しようと動いたというから、ダルもそれほどの逸材と評価されていたわけです」

 11年オフに日本ハムからポスティングでレンジャーズへ移籍。メジャーで107もの白星を積み上げた。最近までポスティングを認めていなかった巨人に入団していたら、ここまで“長生き”はできなかったかもしれない。

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 そんなダルビッシュは将来的に日本球界に復帰する場合について、最終的にサイドスローで中継ぎをやる可能性にも言及している。

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